泥仕合の未納3兄弟 管直人
今朝のズームインで紹介されてたんで、初めて知ったが、コメンターの辛坊さんも言ってたが、これは泥仕合(泥試合ではない・・・・・ずっと試合だと思っていた)
以下は中川大臣のサイトから全文引用
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/
■ (審議再開)そんなに「ことば狩り」がしたいのならば
日経の社説に「選挙結果を謙虚に受け止め国会で競え」が書かれている。
(日経社説)「4月の統一地方選の前哨戦として注目された。4日の愛知県知事選と北九州市長選は、与野党それぞれが1勝1敗の痛み分けとなった。勝敗だけみれば、事前の世論調査通りだが、女性を『産む機械』に例えた柳沢伯夫厚生労働相の失言が響き、当初は与党の楽勝とみられていた愛知県知事選は予想外の接戦となった。選挙結果は与野党に無党派層対策などの課題を残した。
愛知は与党推薦の神田真秋知事が3選を果たし、北九州は民主党などが推薦する北橋健治氏が初当選した。2006年度補正予算案は5日の参院予算委員会で可決され、6日の参院本会議で成立する見通しだ。野党各党は衆院段階から、厚労相が辞任するまでは審議に応じられないと結束し、5日も欠席したが、審議拒否を押し通すわけにはいかない。厚労相の発言は論外だ。しかし野党各党は国会審議を通じてその責任を追及していくのが筋である。国政の重要課題は厚労相の失言問題だけではない。審議拒否は『職場放棄』であり、有権者の理解は得られない。愛知で競り負けた一因として、審議拒否への批判を挙げることができるだろう。
一方、政府・与党は愛知県知事選に表れた厚労相発言への反発を謙虚に受け止める必要がある。厚労相は連日謝罪の言葉を述べているが、少子化対策に当たる閣僚として不適任との批判は絶えない。安倍晋三首相は中川秀直幹事長と会談して、厚労相を続投させる方針を確認したが、党内にも早期辞任を求める声があり、進退問題はくすぶり続ける。出口調査によると、愛知県知事選と北九州市長選のいずれも、無党派層の票は民主党系候補に多く流れた。民主党が候補を立てられなかった1月の宮崎県知事選では無党派層の票はタレントのそのまんま東氏に流れ、初当選の原動力となった。
統一地方選や7月の参院選を控え、無党派層に『与党離れ』の兆しが見えるのは、安倍政権にとって深刻な事態だ。自民党は選挙対策の再検討を迫られている。組織を固める守りの選挙ではなく、改革を遂行するという明確なメッセージを発信することが重要だろう。厚労相の失言の陰に隠れているが、久間章生防衛相は米軍普天間基地の名護市への移設などを巡り米国批判を繰り返し、日米関係をぎくしゃくさせている。与野党を通じ不明朗な事務所費の記載が明らかになるなど、政治資金処理を巡る問題も相次ぐ。政治課題は山積している。街頭ではなく、国会で競うときだ」
―中川の眼―
自民党が「改革を遂行するという明確なメッセージを発信することが重要」との日経社説の指摘はまったくその通りである。
安倍総理が、命をかけて内閣を、自民党を率いて抵抗勢力とたたかうとの政治姿勢が鮮明になれば、保守若年層の無党派化による「総理への催促」に応えることになる。
「指導力」(日本経済新聞社)の本の中で、田勢康弘氏がリーダーシップについて次のように述べている。
「もともとリーダーシップという言葉自体が軍事用語なのです。『リード』という英語の語源に『死ぬ』という意味があります。『リーダーシップ』とは命をかけて部隊を率いるという軍事用語として13世紀ごろに登場します」
もともとは保守であるところの無党派層の対策に、パフォーマンスの奇策は必要ないし、100点満点のうち「60点」の無難なお役所仕事の政策の寄せ集め集も必要ない。
捨て身のリーダーシップ発揮のみである。
さて、野党の「職場放棄」はそろそろ終わるようだ。街頭から、国会へ、いよいよ論戦再開である。
明日からの予算委員会の論戦を通じて、柳沢大臣の「正体」が女性蔑視論者でないことが明らかになるはずだ。
そして、柳沢大臣の「正体」が女性蔑視論者であるとの証拠を国民に提示できない野党は焦りの度を増して、柳沢大臣の失言待ちの「ことば狩り」の傾向を強めるだろう。
さっそく、柳沢大臣の今日の閣議後記者会見の発言について、民主党の輿石参議院議員会長は「柳沢大臣の発言からすれば、2人以上子どもを産まない女性は健全ではないということになる。女性の尊厳を否定する発言だ」と批判、共産党の穀田国会対策委員長は「子どもがいなかったり1人なら不健全だと言いたいんだろう」と批判、社民党の福島党首は、「世の中には、子どもを持ちたくても持てない人など、さまざまな人がいる。こういう発言が続くのは、柳沢大臣は問題の本質をわかっていないということだ」と批判、国民新党の亀井久興幹事長は「かつての『産めよ増やせよ』という国のために子どもを産むという考え方と同じだ。産みたくても産めない、1人しか子どもを作れないという人は、まるで不健全とでも言わんばかりの発言」と批判。
では、冷静に事実に即して検証しよう。柳沢大臣は今日、どんな質問になんと答えたのであろうか。
(記者)少子化対策というのは、女性だけに求めるものなのかどうか、その辺りのお考えはいかがでしょうか。
(大臣)これはもう、元から私申し上げておりますように、要するに、若い人たちの雇用の形態というようなものが、例えば、婚姻の状況等に強い相関関係を持って、雇用が安定すれば婚姻の率も高まると、こういうような状況ですから、まず、そういうようなことにも着目して、私どもは若者に対して安定した雇用の場を与えていかなければいけないと、こういうことでありましょう。それからまた、女性、あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計というようなものが、子どもを持つことによって厳しい条件になりますから、それらを軽減するという、いわゆる経済的な支援というようなものも必要だろうと、このように考えます。それからもう1つは、やはり家庭を営み、また子どもを育てるということには、人生の喜びというか、そういうようなものがあるんだというような、意識の面の、自己実現といった場合ももう少し広い範囲でみんなが若い人たちが捉えるように、ということが必要だろうというふうに思います。ただ、前から言っていることですが、そういうことを我々は政策として考えていかなければいけないのではないかと思うのですが、他方、ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、それから、子どもを二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけですね。だから、本当に、そういう日本の若者の健全な、なんというか、希望というものに我々がフィットした政策を出していくということが非常に大事だというふうに思っているところです。具体的な事について、いろいろまた考えていかなければいけない。基本的枠組みとしては、そのようなことです。
この「2人以上もちたい」というのはどこから来たのか。1月30日の柳沢大臣の記者会見にその答えがある。
(記 者) もう一度確認ですけれども、希望が叶った場合のときの人口推計という、希望というのは誰の希望なんですか。
(大 臣) その希望は、同じく社会保障人口問題研究所がアンケートで一種の世論調査をやっているんですね。その人たちの答えが、若い人を相手に世論調査をしたんですけれども、結婚したいという人たちが非常に高率である。それからまた、子どもは何人くらいがいいですかと、結婚した場合何人くらいがいいですかという質問に対しても、本当に2人以上のというような傾向がアンケートで出てきているわけですね。そういう希望が叶えられる社会を我々は作っていかなければいけないわけですが、そういう社会を作ることによって希望が叶えれられていくとしたら、どういう人口のこれから動向になるかと、いうことをやろうとしているんですね。
子供を2人以上もちたいというアンケート結果を「健全」といっているまでで、問題ないのではないか。では2人以上子供をもちたいというのは不健全なのか。
いままで、一部の人々が「柳沢さんは8人兄弟だから国家政策で産めよ、増やせよに違いない」といっていたから、柳沢大臣はそういう「不健全」なことをいっているのではなく、国民の「希望にフィットしていく政策」を出すことを考えていることを説明した、極めて「健全」な発言だ。
では、何をもって不健全なのか。一つは国家政策で「産めよ、増やせよ」を強制することだ。もう一つが、本当は2人以上の子供がほしいのに、2人以上の子供が社会的な問題でもてないことなのではないか。
もういい加減に、言葉尻をとらえた「ことば狩り」はやめたらどうか。政策の中身を問うたらどうなのだ。いくら言葉尻をとらえても、柳沢大臣は女性蔑視論者であるという証拠にはならない。
そんなに「ことば狩り」がしたいなら、一つの題材を与えよう。
「東京は景気が良い、生産性が高いと言われるが、しかし、東京は日本で一番生産性の低い大都市。何の生産性か、それは子供の出生率において、0.98という最も生産性を示している都市。逆に言えば日本がみな東京のようになってしまったんで、日本は成り立たなくなりといえる」
出生率と生産性を結びつけるということは、出産と機械とが結びつくことではないのか。生産性とは、生産過程に投入される生産要素が生産物の産出に貢献する程度のこと。是非、菅直人民主党代表代行に、1月15日の民主党大会でのこの発言の真意を質していただきたい。
ちなみに、菅氏は平成18年8月5日掲載の山陰中央新報のインタビューにおいても、「少子化問題でも、生産性が高い東京が、子供の生産性が一番低い」と述べている。人間の出産を生産性でとらえるこの感覚に、審議拒否した野党の皆さんの感想をお聞きしたい。
こんな「ことば狩り」はもうやめようではないか。真面目な国会審議に戻ろう。
国会の審議の場では、必ず、柳沢大臣の失言が女性蔑視から出たものでないことが明らかになり、逆に、小沢民主党が如何に無責任な抵抗勢力であるかが明らかになるだろう。(2月6日記)
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