小田実 2
北朝鮮との関係
1970年代に当時の軍事政権に迫害された韓国の金大中の救出運動にも加わった。同時に北朝鮮を「地上の楽園」と賛美するキャンペーンを行った進歩的文化人を代表する一人だった。たとえば小田実は『私と朝鮮』(1977年)の中で、
- 第三世界にとって、かつては日本が進歩のモデルだった。 しかし、今、そのモデルは、例えばアフリカの多くの国にとって、 北朝鮮にとって代わられようとしている。
- 彼らの暮らしにはあの悪魔のごとき税金というものが全くない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国には未だどこも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人々の暮らしの基本である食料について「北朝鮮」がほとんど完全に自給できる国であることも述べておかねばならないだろう。
と書いている。
そして北朝鮮側が日本人拉致を認めた後は、
- 1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮とも国交回復していれば、拉致はなかった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ。日本政府は拉致された人がどう死んだのか、誰をどう処罰したのか、北朝鮮に明らかにさせなくてはならない。この究明と(拉致被害者家族に対する)国家補償の追及が、国交正常化の第一歩だ。一方、日本は朝鮮半島を植民地化する国家犯罪を犯した。金正日(総書記)は少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も補償もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を清算せず、国交ができないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日朝両国が国家犯罪を認め合い反省することが、これからの「国交」の土台となる。(平成14年9月18日付東京新聞朝刊社会面「日朝首脳会談 拉致事件・生死判明 識者の声・市民の声」)
としている。また、「北朝鮮の諸問題の原因は日本をまねたためだ」、というような発言を自身のホームページ(外部リンク参照)のコラム『新・西雷東騒』第4回に書いており、『週刊新潮』2006年11月30日号は、『「ベ平連・小田実」は今も「北朝鮮の味方」という証明』という記事で批判した。
なお小田実は北朝鮮国籍の玄順恵と1982年に結婚(12月24日に結婚式)し、1996年には岩波書店から共著『われ=われの旅 NY・ベルリン・神戸・済州島』を出版している。
| 固定リンク
最近のコメント