国賊 大江が生きていたとは
元隊長、集団自決「強制」を否定 「沖縄ノート」訴訟
2007年11月09日
太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に「集団自決」を命じたように書かれて名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元隊長らが岩波新書「沖縄ノート」著者の大江健三郎さん(72)と出版元の岩波書店に出版差し止めや慰謝料1500万円を求めた訴訟で、原告・被告双方に尋問をする口頭弁論が9日午前、大阪地裁で始まり、元隊長は「自決命令なんか出していない」と「強制」を否定した。大江さんの陳述は午後にあり、証言が多数あることを示して反論するとみられる。
大阪地裁に入る原告の梅沢裕さん(左)と赤松秀一さん=9日午前10時すぎ、大阪市北区で |
高校日本史教科書の検定で「強制」の記述が削除されるきっかけになった裁判は、ノーベル賞作家と元隊長が出廷する山場を迎え、693人が65の一般傍聴席を求めて列をつくった。
原告は、座間味島の部隊を統括する戦隊長で少佐だった梅沢裕さん(90)と、渡嘉敷島の戦隊長で大尉だった赤松嘉次さん(故人)の弟秀一さん(74)。両島は沖縄西南部にあり、地元郷土史などによると、米軍が上陸した1945(昭和20)年3月に座間味で約130人、渡嘉敷で300人以上の住民が集団自決したとされる。
大江さんは「沖縄ノート」で、証言を集めた文献を引用しながら、日本軍の命令で集団自決が両島であったと触れ、実名を出さずに「責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」などと記した。
梅沢さんは原告側弁護士の質問で、米軍の空襲が始まった後、村人5人から「軍の足手まといにならないよう自決する。手榴弾(しゅりゅうだん)を下さい」と頼まれたが、「とんでもないことを言うんじゃない。死んではいけない」と制止したと説明した。
さらに、生存者らが戦後に「日本軍の命令があった」と証言したのは、遺族年金を得るための「うそ」と指摘した。本で実名を挙げられていない点については「島の隊長は私しかいなかった」と述べ、特定は容易とした。
大江さん側の弁護士の尋問で「軍の責任を認めるような内容の手紙」を生存者に出していると問われると、「一番責任があるのは米軍。我々は島に駐屯した以上、全く関係ないとは言えないという趣旨だ」と答えた。
午後の大江さんへの尋問は約2時間を予定。
《「沖縄ノート」訴訟と教科書検定》 沖縄戦で旧日本軍が住民に集団自決を命じたかをめぐり、大阪府在住の元軍人と遺族が05年8月に提訴。文部科学省が今年3月に発表した教科書検定にも影響し、「軍の強制」に修正を求める検定意見がついた。だが9月、沖縄で11万人(主催者発表)が異を唱えて超党派の県民大会を開き、表現を削除した教科書出版5社も、記述を復活させる訂正を文科省に申請している。
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