ホントにあった 二刀流 剣道
<全日本剣道選手権>二刀流の山名六段が1勝 五輪書熟読
11月6日11時37分配信 毎日新聞
3日の全日本剣道選手権で、二刀流の山名信行六段が1勝。剣豪・宮本武蔵で知られる二刀流だが、69年を最後に出場が途絶えていた。 山名は全日本選手権1回戦で平尾泰(東京・警視庁)に延長24秒、左手の小太刀(竹刀)で小手を決めて勝利した。 京都府出身で小学3年から剣道を始め、北嵯峨高で国体出場。国際武道大(千葉県)に進学し、約400人いる剣道部員の中で「選手として生き残るためには、何かで抜きんでないと、と考え」、大学3年の春から二刀流に取り組み始めた。 戦後の学生剣道界では二刀流は異端視され、試合での使用が禁じられた。昭和初期に二刀流剣士が各地に現れ、好成績を残したことに「(一刀の)基本が脅かされる」との危機感が広がったためと言われる。全日本学生剣道連盟が解禁したのは92年。二刀流の普及、指導にあたる「二天一流武蔵会」(事務局・東京)によれば、全日本選手権の出場者も、69年の荒関富三郎七段(段位は当時)が最後となっていた。 山名が二刀流に取り組んだ当初は、指導者も身近にいなかった。そこで二刀流を試みたことで知られる剣豪・宮本武蔵の著書『五輪書』を熟読。一刀で全日本選手権を2度制し、99年全国八段大会では二刀流で準優勝した戸田忠男八段らの指導も受けた。「二刀流を通して、いろんな人に出会えたのが最大の財産」と語る。 全日本学生選手権には95年に二刀流剣士が初めて出場。だが、荒関七段の流れをくむ武蔵会によると、全日本選手権の予選に二刀流で挑む剣士はいるが、本大会出場は厳しいのが現状だという。同会の佐々木博嗣副会長は「山名選手は出場自体が偉業と言っても良い。今回の活躍が二刀流の認知度アップにつながれば」と話している。 |
| 固定リンク
最近のコメント