明大 1937・8・10
明大 1937・8・10
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071209047837_1.htm
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071209047837_1.htm
これをご存知のかたも多いと思うが、1937年というのは昭和12年のことである。
つまり今年が昭和82年に当たるから、なんと70年前のもの・・ということになる。
ほんとにこの日に刻んだのか、はたまた後年のイタズラなのかは知る由もない。
ただ、ホンモノのラクガキだったとすれば、20歳ぐらいの学生が刻んだのだとして、生きておられたら90歳以上になるかたがたである。
位置的にはかなり高いところ(4~5メートル)だからハシゴを用いたのか??
まあ、正面の仏像が出来るずっと以前のものだから、正真正銘のラクガキ??なのかも知れない
ちなみに1メートルくらい下には帝大の刻み込みが見られるが、我らが大先輩は帝大には、少なくとも高さでは負けていないということだ・・・・
ひょっとしたら、帝大のラクガキを発見した先輩らが一段と高いところに格調高く?正々堂々と名前を掘り込んだのかもしれない。(これぞ、前へ・・・の精神だな)
(注)よく見ていないので正確ではないが帝工?と読めるので帝大ではないかもしれないが・旧帝工?帝大工学部の略か?・・まあいずれにせよ高い位置に書いてあることは確かだ。
刻んだときには、後に正面に大仏なんぞ出来るとは思っていなかったろうから、なんだか歴史を感じるラクガキ・・・もとい刻み込みである。
こんなに簡単に岩に字が書けるのか??疑問かも知れないが、それはもともとここいらは房総石の石切り場だったからで、石切の工具は山頂に展示してあるので見ることが出来る。
このかたがたが70年前に、石切り場跡の調査に訪れたときの記念か、はたまた、この先輩方を知る石切職人さんが記念に刻んでくれたのか???
霊峰富士を仰ぎつつ、刻苦研鑽他念なく刻んだのだろう。
いずれにせよ、この岩が崩れないかぎりは残る名前だ。
今度出かけたときは、この岩に向かって、学生歌でも歌うか? ♪ 都に匂う~
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