片岡敏郎
片岡敏郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片岡 敏郎(かたおか としろう、1882年 - 1945年)は戦前に活躍したコピーライター(当時の呼び名で「アドライター」)。静岡県出身。
旧制開成中学校卒業後、海軍兵学校を目指すも叶わず静岡中学校を卒業。泉鏡花に師事して文筆家を目指すが挫折。1906年、シャム公使館に勤務。1909年から1912年まで渡航。
広告業界に足を踏み入れるきっかけは本人曰く「たまたま見た森永の広告がまるでダメで、これなら俺の方がよいものができる」と思ったからだという。
帰国後の1913年、日本電報通信社に入社するも、翌年、その森永製菓に広告部長として招かれヒット広告を次々と打ち出す。 特に当時の横綱・太刀山の手形に「天下無双 森永ミルクキャラメル」と文字をあしらった広告は大評判となった。
1919年に鳥井信治郎に乞われて壽屋に広告部長として移籍。ここでも「オラガビール」や日本初のヌードポスターと騒がれた「赤玉ポートワイン」、「スモカ歯磨」など多数の傑作広告を残している。
1932年、歯磨部門分離に伴い壽屋を退社。寿毛加社の取締役となる。
戦時下の1940年、新聞上で自由に広告文案を創作できないとして当時としては珍しい廃業広告を出したことでも知られている。
なお、その仕事の一端は『片岡敏郎スモカ広告全集』(マドラ出版)で伺い知る事ができる。
| 固定リンク
最近のコメント