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曽根圭助さん 侏儒の言葉

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070525bk01.htm

今朝の新聞に出ていたが、初めて聞く人だ・・・・・というくらい本を読まなくなっている私だが、芥川龍之介著の「侏儒の言葉」という本を紹介していたが、なんとなく面白い経歴をお持ちのかたのようで、今度読もうかと思っている。

さて、その芥川先生から曽根さんが引用しているのは

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html

の中の人生という部分の一節(帰りにプリントして読もうと思う、以下文字がずれるが修正がめんどうなんでこのまま)

人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。

侏儒の言葉

芥川龍之介

   

侏儒

の言葉」の序

「侏儒の言葉」

人生
    ――石黒定一君に――

 もし

を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものに

駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う

莫迦

げた命令を負わされているのも同じことである。
 我我は母の胎内にいた時、人生に処する道を学んだであろうか? しかも胎内を離れるが早いか、兎に角大きい競技場に似た人生の中に踏み入るのである。

勿論

もちろん

游泳を学ばないものは満足に泳げる理窟はない。同様にランニングを学ばないものは大抵人後に落ちそうである。すると我我も

創痍

そうい

を負わずに人生の競技場を出られる

はず

はない。
 成程世人は云うかも知れない。「前人の跡を見るが好い。あそこに君たちの手本がある」と。しかし百の

游泳者

ゆうえいしゃ

や千のランナアを眺めたにしろ、

たちま

ち游泳を覚えたり、ランニングに通じたりするものではない。のみならずその游泳者は

ことごと

く水を飲んでおり、その又ランナアは一人残らず競技場の土にまみれている。見給え、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに渋面を隠しているではないか?
 人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの

莫迦莫迦

ばかばか

しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと

埒外

らちがい

に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。

   又

 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。

   又

 人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし

かく

一部を成している。

游泳

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