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聖火リレー報道

聖火リレー泣きながら乱入した男性は台湾在住のチベット亡命2世…「フリーチベット」の叫び届かず

http://tenpuralove.blog17.fc2.com/blog-entry-88.html

聖火リレー報道@2008/04/28(月)

■日テレ スッキリ!!

<出演者の発言>

★「長野聖火」の逮捕者「実像」  伝えない日本メディアに勝谷苦言

・勝谷誠彦の「スッキリタイムズ」は、産経新聞の大阪にだけ載ったという記事を紹介した。
 4月26日の長野での聖火リレーで、福原愛ちゃんの前に飛び出した男性、各社の報道では
 台湾籍の男性とだけ伝えられたが、実は亡命チベット人だった。

 タシィ・ツゥリンという38歳。「日本のメディアは、よく取材しなかったのか遠慮したのか」と
 勝谷はいう。

 同紙によると、1959年に中国がチベットを併合した際、父が死刑の判決を受け、処刑の
 前日に脱走してインドに亡命した。この男性はそこで生まれ、現在は台湾に在住。

 勝谷は「彼は聖火を妨害しようとしたわけじゃなくて、チベットの国旗をカメラに向けたかっただけ。
 捕まったのはしょうがないが、どういういわれかを伝えておきます」と。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080426/oth0804261339026-n1.htm

何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた
 北京五輪の聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベットの雪山獅子旗。
 出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに
 自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや
 卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。
 善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。

 ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの
 沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火
 ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリー
 チベット」の泣き叫ぶような声は消えない。

 男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに
 反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。
 この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。

 タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。
 紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。

 父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、
 一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳
 だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという

「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする
 覚悟がある」

 チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。
 しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、
 平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。

 タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、
 日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」
 と述べていた。

 穏健にチベット問題を訴える人たちもいた。市民団体「SFT日本」の代表を務める亡命チベット人2世、
 ツェリン・ドルジェさん(34)=名古屋市=らも長野入りし、「チベットに自由を チベットに人権を」と
 書かれた横断幕を握りしめた。

 「私たちは聖火リレーを妨害するつもりはない。ただ、中国政府にオリンピック精神に立ち返ってほしい
 だけ。自分の思うこと、感じること、自由に発言できる社会にしたいだけだ」

 SFTでは事前に、抗議をする場所や抗議方法について、長野県と協議を重ねていたが、ツェリンさんらの
 周りには、「ワン・チャイナ」と連呼し、中国国旗を翻す大勢の中国人たちが詰めかけ、その声は
 ほとんどかき消された。

 チベットの中心都市、ラサでは中国人の人口がチベット人を超え、子供たちも中国語を話すように
 なっているといい、「このままでは私たちの文化や宗教は確実に跡形もなく消えてしまう」。

 この日、長野を訪れたチベット人らの多くは3グループに分かれて抗議活動に出かけた。あるチベット系
 中国人男性は「チベットに残してきた家族が中国の公安当局に尋問を受けており、顔や名前を出して
 抗議活動をするのは正直怖い」とこぼした。(以上)

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