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出羽守 (でわのかみ)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080618/trl0806180301000-n1.htm

もう45歳のネズミ人間になっていたのか。きのう、昭和と平成をまたいで全国を震撼(しんかん)させた幼女連続誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤死刑囚の刑が執行された。26歳の「おたく」青年は、逮捕から20年近く生きながらえたが、殺された子供たち4人はかわいい盛りで時計が止まったままだ。

 ▼鳩山邦夫法相は、就任以来13人の死刑執行を命じた。平成では最多の執行数とあって、「鳩山法相は、ほぼ2カ月おきに死刑を執行し、ベルトコンベヤーのごとく処理している」とかみついた国会議員の集団がある。

 ▼亀井静香氏が会長を務め、加藤紘一、福島瑞穂両氏といったおなじみの面々も名前を連ねている超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」だ。亀井氏は鳩山氏を「法相の資格もなければ、人間の資格もない」とまで口を極めて罵(ののし)ったことがあるが、正義は鳩山氏の方にある。

 ▼刑事訴訟法475条は、死刑が確定すれば、法相は再審請求が出ているときなどを除いて6カ月以内に刑の執行を命令しなければならない、と定めている。宗教上の理由などから在任中、死刑執行の命令を一度もしなかった法相が何人かいるが、彼らこそ法律違反者だ。

 ▼神ならぬ人間が人間を裁き、死をもって罪を贖(あがな)わすのはいかがなものか。国家による殺人だ、という死刑廃止論者の理屈は一見、もっともにみえる。だが、凶悪犯の衣食住を保障し、国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。

 ▼2年前に刑が確定した麻原彰晃死刑囚も宮崎死刑囚同様、自ら罪を悔い、遺族に謝罪する可能性はゼロに近い。欧州連合(EU)では、死刑を廃止しているので日本も、という出羽(でわの)守(かみ)は、さっさと文明の都、パリあたりに移住されてはいかがか。

http://zakkan.racco.mikeneko.jp/050117dewa.html

いちいち「イギリスでは,...」「欧米では,...」と言って話を始める人を揶揄して,「出羽守(デワノカミ)」というそうだ.「昔はよかった」というのも同じ類である.

「出羽守ばなし」がやっかいなのは,聞き手にはそのイギリスやら欧米やらでの体験があるとは限らないから,おかしいと思っても簡単には否定できないことである.かくして,「イギリスは大人の国」「アメリカの大学生は皆よく勉強する」「フィンランドは親日国」といった言説がまかりとおることになる.

しかし,そもそも「情報」というのは「あなたの知らないどこそこでは,こんなことがありましたよ」ということを伝えるものだから,本質的にすべて「出羽守ばなし」である.だから,近年その重要性が言われている,「情報の受け手としての能力」である「メディア・リテラシー」とは,つまるところ「出羽守ばなし」の真偽を見抜く力ということになる.

確実な証拠のない話の真偽を見抜くには,結局,自分の力で話の「真実味」を推測するしかない.さまざまな方向から「真実味」を検討する能力と,人の話を安易にうのみにせずきちんと考える意志こそが「教養」であり,そのために人類が蓄積してきたさまざまな知識と思考法を学ぶのが「学問」である.やはり,すぐに役に立つものでなくても,勉強はしておくものだ.

もっとも,最初の記事の話がおかしいと理解するには,「イラク国民の100%がフセイン大統領に投票した」という話をおかしいと感じられれば十分なはずだが.

(05. 1. 17)

[追記]国際法学者・鈴木康彦氏の「出羽守の独り言」によると,「『出羽守』の言うことに対して,『そんなものは参考にならん』と憮然として見せる人」のことを「豊前守」というそうだ.


「座観雑感」 by 浅野 晃 asano @ mis.hiroshima-u.ac.jp / racco @ mikeneko.jp
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http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_taiga000818.htm

小山田信有 (出羽守)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小山田 信有(おやまだ のぶあり、永正16年(1519年) - 天文21年1月23日1552年2月17日))は甲斐郡内地方(甲斐東部)の有力国人小山田氏当主。出羽守を称した。越中守を称した小山田信有の子。弥三郎を称した小山田信有小山田信茂の父。桓武平氏秩父党の末裔。

祖父(又は伯父)の小山田信隆や父の越中守信有は武田信虎と幾度となく争ったが、後に姻戚関係を結び、臣従。以後、小山田氏は武田家の一門衆として厚遇された。

出羽守信有は智勇に優れ、武田信玄(当時は晴信)の家督相続をいち早く支持したとされ、その政務に関与している。また、信濃攻めで佐久郡志賀城主笠原清繁の寡婦を与えられ(『勝山記』による)、上田原の戦いでは武田軍が潰走する中で唯一陣を守るなどいくつもの軍功を挙げた。天文19年(1550年)の村上義清との戦い(砥石崩れ)で重傷を負い、それが元で天文21年(1552年)に死亡。葬儀には多くの人が参列したという。

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