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いてもたっても ファンタジア

ファンタジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ファンタジア』(Fantasia)は、1940年アメリカ映画アニメーション映画ディズニー製作、監督:ベン・シャープスティーン(1895年 - 1980年)。1940年11月13日封切。カラー作品であり、又、世界初のステレオ音声作品である。日本での公開は戦後の1955年9月23日であった。いわゆる1953年問題以前の作品の為、パブリックドメイン(公共財産)として認められる。

ステレオ効果が利用された最初の映画で、尚且つサラウンドの原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に導入され実用化された面においても、技術的において非常に重要な歴史的映画である。最初に上映された際には前方3チャンネル(左、中央、右)のミキシング音声によるステレオだったが、再生に当り複数のスピーカーを劇場内に配置し、各チャンネルのスピーカーごとに違う音を出して、音の立体感を出した。フィルムの光学サウンドトラックは、当時主流のSPレコードのそれよりも低ノイズ周波数特性に優れ、かつ長時間録音が出来たため、実現出来た効果ともいえる。しかしながら、封切された1940年代ではそれぞれの音声チャンネル再生専用の映写機アンプを用意し、これらの音声を同期させる必要があったために大掛かりなものとなってしまった。そのため、すべての劇場でこの音響効果を再現するのは不可能であったという(当時主流のアンプが真空管式であった事からも、その規模は想像に難くない)。しかし、オリジナルが9チャンネルのマルチ・ステレオ収録だった為、1950年代半ばにシネマ・スコープの登場によりサラウンド・ステレオにてリバイバル上映され、1991年に初めてビデオ・ソフト化された際、ハイファイ音声のビデオソフト・LDなどではドルビーサラウンドでこの音響が再現されている。DVDの日本語吹き替え版では2.0chで前のみのステレオである。

日本においてディズニー・ホーム・ビデオが1991年11月1日に発売したビデオは、ビデオテープとレーザーディスクを合わせて100万本以上の売り上げを記録。当時の日本記録は『眠れる森の美女』と『ローマの休日』の約40万本であったとされ、その記録を大幅に更新することになった[1]

日本では著作権の保護期間が終了したと考えられることから、現在パブリックドメインDVDでも発売中。

[編集] 製作過程

ウォルト・ディズニーは一連のミッキーマウス映画を製作しつつ、ミッキー映画と全く正反対の、芸術性の高い作品を製作することを願っていた。その手始めとしてSilly Symphonyシリー・シンフォニー)シリーズが誕生した。しかし、ウォルトはこれにも満足せず、さらに自身初の大作「白雪姫」を1937年に世に問うたことにより、ウォルトはかねてから願っていた「芸術性の高い映画」の目標を、完成度が高かった「白雪姫」よりもさらに上に置くことに決心した。そこで、ウォルトはSilly Symphonyの方向性を多少は維持しつつ、物語性のある音楽作品を作ることになり、その筆頭候補として「魔法使いの弟子」を題材に取り上げることにした。ウォルトはまた、権威付けのために高名な指揮者を起用することを考え、レオポルド・ストコフスキーが指名された。レストランで意気投合した後、1937年頃から製作を開始した。

「魔法使いの弟子」製作の際、従来どおりミッキーが主役に選ばれたことにストコフスキーは異を唱え、新しいキャラクターを作ることを主張したが、パントマイムだからということでミッキーに落ち着いた。こういったことがありつつ制作は進んでいったが、1年かけて「魔法使いの弟子」を完成させた時、製作費用がそれまでと桁違いなことにさすがのウォルトもたじろいだが、初心を忘れることはなかった。その際、ウォルトは作品をコンサートのような感じにすることを思いつく。音楽評論家ディームス・テーラーが顧問に迎えられ、ディスカッションの結果100枚以上のレコードから8曲の名曲が選ばれた。曲順はいろいろ検討されたものの、オープニングに「トッカータとフーガ ニ短調」を持ってくることに異を唱える者はいなかった。

プログラムは次の通り。( )はおおよその所要時間。一部はストコフスキー自身による編曲もあるが、詳しくは「主な編曲箇所」の項目を参照のこと。

ドビュッシー作曲の「月の光[2]も作品の中に入るはずだったが、制作段階で削除された。

作品中で公開時に在世していたのはストラヴィンスキーのみである。しかし、当時ストラヴィンスキーは米国に著作権を持っていなかったため、ディズニー側はストラヴィンスキーに『春の祭典』の使用許可を取る必要がなく、しかも大幅にカットして使用した。ストラヴィンスキーが米国に移住した後、しばらく自作の著作権取得に奔走していたのはこれが原因のひとつといわれている。

11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラなどなど、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音したテープの量42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。完成間近になって、ストコフスキーのアイデアでタイトルが「ファンタジア」と命名された。

[編集] 録音についてのメモ

サウンドトラックのレコーディングは1939年4月に、特注の映画用光学式音声録音機にて、ステレオどころか、9チャンネルのマルチトラックにて収録された。全収録曲目の内、「時の踊り」と「アヴェ・マリア」はストコフスキーの唯一の録音であり、「魔法使いの弟子」と「春の祭典」は最後の録音、「田園」と「禿山の一夜」は最初の録音である。「トッカータとフーガ ニ短調」および「くるみ割り人形」はストコフスキーの十八番中の十八番である。

[編集] 封切後

1940年11月13日にニューヨークのブロードウェイ・シアターで封切されたが、評価は微妙なところであった。というのも、雑誌「タイム」が3ページにわたって特集を組んだが、映画扱いされることはなく、音楽欄で作品が論評されていた。「田園」と「春の祭典」に『作品従来のイメージとかけ離れている』という批判が集中した。また、従来からいたディズニー映画のファンですら作品に戸惑いを見せたという。さらに、この作品を上映するのに必要な装置にかかる費用が莫大だったため、上映できる映画館が非常に限られていたこともあり、収益面は初めから諦めていた。もっとも、ウォルトは「タイム」でのインタビューで「これは私が死んでからもずっと楽しんでもらえる作品だ」とコメントしている。事実、ウォルトが亡くなって3年後の1969年に再上映されて以来、ようやく金になる作品になった。なお、ウォルトはこの「ファンタジア」を公開するたびに曲を入れ替えるという「演奏会形式」を目指していたが、これは実現できなかった。

1940年度のアカデミー賞では、ウォルトとストコフスキーが特別賞を受賞している。しかし、当時のアカデミー賞にはアニメ映画に対する部門賞はなく、純粋に作品に対してアカデミー賞を授けられたとは言い難い。

[編集] 現状

この作品は、あまりの長さゆえに幾度もカット及び順序の変更が行われているが、1990年のリリースで上記のプログラムに整えられた。なお、2000年にオリジナルに極めて近いバージョンが上映され、海外ではそれに基づくDVDも発売されている。現在日本で入手できるDVDは1990年リリース版によるものであり、熱心なファンにはわざわざオリジナルに近い海外版を購入する者もいる。なお、日本版と海外版の主な相違点は以下の通りである[3]

  • ストコフスキーの声(日本版:別の人物で吹き替え / 海外版:オリジナルのまま)
  • ディームズ・テーラーの解説(日本版:大幅にカット / 海外版:ほぼオリジナル)
  • 休憩(日本版:全てカット / 海外版:ほぼオリジナル)

ちなみに冒頭に言及した、アブロック発売のパブリックドメイン版ファンタジアでは、ディームス・テーラーの解説やストコフスキーの声はオリジナルだが休憩はカット、また映画終了後のスタッフロールがない。

編集段階でカットされたドビュッシーの「月の光」の映像は、その後再編集と再録音がなされてオムニバスメイク・マイン・ミュージック」(1946年)中の一編「青いさざなみ」として日の目を見ることとなった。一方で映像の一部が欠落してしまったため、オリジナルの形での復元は長い間実現しなかったが、1992年にオリジナルのワーク・プリントが発見され、短編作品として当初の形通りに蘇った。この短編は日本版DVDにも特典映像として収録されている。

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