テトラに進駐軍
きのうの帰り、錦糸町のヨドバシに寄ったら、SH-04Aがでていたのでいじってみるが・・・・・・62000くらい。
とても買えるような値段ではないのと、買ったばあい・・・どうやって電話をつかうのか難しそうなのと、タッチパネルだと、私の場合は冬の間は指先がカサカサで荒れるので、反応しない可能性もあり???
きっぱりと諦めることができた。
さて今週は、水曜日にジャズとヒップホップをやっただけで、毎日飲んでいるが・・・・・(思えば2月はずっとそうだった)きのうはタトゥイーンではなくて地元のテトラへ
久々に入るが、けっこうな賑わいではじっこのカウンターで飲み始めるが・・・背中のテーブル席の連中がやかましい@
職人さんらのダミ声まじりの大声は、それなりに趣もあって面白いが・・・・
なんとこの連中(背中越しに振り帰って見たワケではない)、訛りのある英語でしゃべっている。
そうか、英会話の先生なんかをテトラに招待して、英会話の実践トレーニングを兼ねて、日本の居酒屋を紹介しているんだろう・・・うーむ、それは良いことだ・・・と最初は思っていたのだが・・・・・
酔いも手伝っているのか??、やたらに声が大きくて、他の客も迷惑顔
「うっせんだよテメエはよお~」と一喝したいが(出来はしない)・・・
会話の内容にKが入っていて、だんだん、どんな客なのかが解ってきた・・・
そう、彼らは英会話の先生・生徒ではなく第三国人グループだった。
ハングルではなくて大声の英語を使ってクダをまき、英会話のできない安居酒屋にくる日本人客相手に自慢の英会話をひけらかす・・・
そんな感じだった。まあ、途中で帰ってくれたんで実害はないし、テトラに金を落としてくれたんで、ありがたい客かも??
でも、二度と出くわしたくないな
三国人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三国人(さんごくじん)は戦後における日本人による日本の旧外地の人々に対する呼称、または朝鮮から日本に移動してきた人々の戦後の自称、GHQによる朝鮮・台湾などの旧外地に対する呼称などの説がある。一般的には死語であるが、差別の意図を以て用いる者がある。
語源について
いくつかの説があり、定説は確立していない。
- 戦前・戦中に朝鮮、台湾などの外地から日本内地へ労働力として移住してきたもの、あるいは日本に徴用・官斡旋などでやってきた人々が戦後、敗戦国日本、戦勝国連合国と、立場が二分したときに日本と合併された朝鮮は自らが敗戦国のグループの一員となることを心情的に拒否し、「我々は第三のグループであり、第三国の人、すなわち三国人」と自ら名乗った。この時点では、なんら蔑称的な意味はなく、むしろ敗戦国民ではない、今から日本から独立した国を作る民族であるという誇りをこめた自称であったとする説。
- GHQが使用した「non-japanese(非日本人)」という言葉を日本の政治家・官僚が「第三国人」と訳し、それがGHQ側にも受け入れられてとされる説
- 1.と同様の理由によって日本に移住してきたもののGHQ指令による帰国作業、赤十字による北朝鮮への帰還事業(注)などで本国に帰ることなく日本に残った朝鮮人も経済活動をおこなう必要があった。それらの中で日本人と軋轢が生じることがあり、日本人から占領軍のアメリカ人と日本人以外の国の人間ということで、日本人から「三国人」と称されたとする説。
- GHQにより戦勝国でもなく、敗戦国でもない旧植民地はThird nations──第三国であると規定されたことによるという説。
ただし、GHQ内では朝鮮人・中国人・台湾人を当初 "non-japanese"(非日本人)と称していたという説(「転化」のリンク先を参照)があり、これが正しい場合には、3.および4.の根拠はかなり薄くなると考えるべきであろう。
- (注)帰還事業は日本と北朝鮮の赤十字社間の協定によって1959年から1984年にかけて行われた事業。日本在住の朝鮮人とその家族(日本人含む)の北朝鮮への「帰還」を支援することを目的とした。国家ではなく赤十字社が行ったのは、日本と北朝鮮の間には正式国交がないためである。
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