東京大空襲 一番恐ろしいのは機銃掃射
一番恐ろしいのは機銃掃射 より引用
http://www5a.biglobe.ne.jp/~othibo/osorosii.html
5.目撃した空中戦
米軍の最新鋭爆撃機ボーイングB29の姿を私たちが東京の空に初めて見たのは、確か昭和18年の初冬の頃だったと思います。
澄みきった青空のものすごい上空を、白い飛行機雲を一直線に曳きながら、特徴のある微かな爆音を残してゆっくり進んで行く銀色の小さな機影を、異様な思いで眺めていたのを記憶しています。
今でこそ飛行機雲は子供達でも知っていますし、いつでも見ることができますが、当時はほとんどの人が始めて見る光景ではなかったでしょうか。
私には美しいとさえ思われたそのB29は、後の東京爆撃に備えて10,000メートルの上空からそのとき写真撮影を行っていたのです。
このようなB29による偵察飛行はそれからたびたびありました。B29が地上と75度の角度のとき爆弾を落すと、その飛行機がちょうど頭の真上に来たときに爆弾が地上に落下する、だから敵の飛行機の進行方向が自分の方を向いてないときは安全だ、などと角度を右手で示しながら説明をする人の話が納得できるほど、まだまだ悠長な気分が漂っていました。
その後まもない頃だと思います。 当時の日米の航空技術の差は大きく開いていましたが、10,000メートルの上空を飛行している1機のB29に攻撃を加えている、米粒のような2機の日本の戦闘機との空中戦を目撃したことがあります。
勿論、空襲警報下のことです。当時は空襲警報といっても1機か2機のB29の偵察飛行が多く、爆弾が落ちてくることもなく危険ではないので、誰もが首が痛くなるほど空を見上げていたものです。
その時も白い飛行機雲を曳きながら直進しているB29めがけて、米粒のように小さく見える日本の戦闘機が接近しては攻撃し、また反転しては攻撃を繰返しています。
しかしB29は進路も速度も変えず、ゆうゆうと飛んでいるのです。銃口からの閃光は見えず、音もぜんぜん聞えず、まるで無声映画でも見ているような、ほんとに手に汗を握る光景でした。
B29からいつ煙が吹出すか、いつ墜落するかと誰もが息を呑んで待っていたはずです。
その時です。米粒のうちの1機が突然急降下しはじめました。確か機体から煙は出ていなかったと思いますがよく覚えていません。ただ一直線に物凄い速さで落ちてくるのです。
ほんの数秒間だったような気がします。みるみる機体は大きくなり、両翼の真赤な日の丸をくっきり見せたまま機影は屋根瓦の波の向うに消え、直後に真白な水煙が立ち昇るのをこの眼で見ました。
その時は家から2・3キロしか離れていない荒川放水路に墜落したのが当然のように思っていましたが、よく考えるとどこへ墜落しても不思議ではないのに、よく町の中に落ちなかったものだと思わざるを得ません。
その時、もし下町の密集した人家のなかに落ちていたら大惨事になっていたところです。
おそらく操縦士は消えかかる意識の中で戦闘機を必死に操り、荒川放水路めがけて墜落して行ったのだと、私は確信しています。
この項の最初のボーイングB29は、最初ノースアメリカンB29と書きましたが、誤りと指摘を頂きましたので訂正しました。
引用終わり
TODAY1∞ 2002年の頃だったと思うが、たまたまネットで見つけて読んでから、毎年、この日になると読むようになったページ。 今年も涙
すべての被災者に瞑目合掌
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