今朝の正論から
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090806/plc0908060356000-n1.htm
【正論】社会学者・加藤秀俊 外国人に「働いてもらう」不思議
≪そこらじゅう人手不足でも≫
健康診断をうけにいったら、案内してくれたお嬢さんの胸の名札がカタカナで表示されていたので、どこからきたの?ときいたら「ベトナムです」という答えがかえってきた。
旅行先のホテルでルームサービスの朝食を運んできてくれたのは韓国からの留学生であった。深夜に道路工事の現場のちかくを通りかかったら、ヘルメットをかぶり、汗だくになって作業をしている労働者のなかには、あきらかに東南アジア、あるいは南アジアからきた、と識別のつくひとびとが何人もいるのに気がついた。
日本全国、あちこちの農村では人手がたらず、中国から大量の手伝いを農業研修生という名でうけいれることにした、という。いくら求人広告をしてもだれもきてくれない。ことばが通じなくて、たいへんな苦労だがこうして中国に労働力をもとめることにしたのだそうだ。
わたしのさいきんの経験からみるかぎり、いまの日本では労働力が不足しているのである。介護、看護の世界でも人手がたりないから、ついにフィリピンやインドネシアに労働力をもとめるようになった。たいへんな人手不足なのだ。
≪「自分らしい仕事」とは≫
だが、ふしぎなことに、おなじ新聞には日本の失業率が5%になった、とか、しごとがなくてネットカフェでその日暮らし、あるいは路上生活をしている、といったひとびとの生活も報道されている。外国人労働者にきてもらわなければどうにもならない労働力不足の現場があるというのに、どうしてそういう人手不足のところにこれらの日本人が就職して生活の基礎をつくらないのか、わたしにはいぶかしくおもわれる。
もちろんひとくちに失業者といっても、そこにはいろんな事情があろう。高齢で身動き不自由というひともいるし、持病があって働けないひともいる。それはしかたない。こうした不遇なひとびとにはしかるべく社会保障があってよい。しかし、ごくふつうの健康なからだをもっていながら「しごとがない」といっているのは不審である。あれだけ人手不足で困っている現場があるのだもの、どんどん応募したらどうか。かならずしも特殊技能を必要とせず、必要なら訓練期間中、手当もだしましょう、という制度だってある。
とりわけオカシイのが若年失業者、ならびにその予備軍である。いわゆるニートとかフリーターとかいった若者たち。それというのも、かれらの言い分をきいていると「自分らしいしごと」にめぐりあえないから失業中、というセリフが定型になっているからだ。職業紹介の施設、機関にゆくと求人はたくさんある。でも、どれをみても「自分らしく」なさそうで魅力がないからヤメた。だから、ブラブラして毎日を食いつないでいるというわけ。
じっさい、ついこのあいだもテレビをみていたら「六本木あたりの外資系のしごと」につくのが「自分らしい」のだと答える青年がいたのにはびっくりした。冗談じゃない。たしかに東京都港区六本木の超高層ビルの瀟洒(しょうしゃ)なオフィスというのはおなじみの花形。カッコいい舞台にみえるが、そんな職場や職業にありつけないから「自分らしく」ない、だからなにもしないでボンヤリしている、などという発想がどこからでてくるのだろう。
≪我が身を現実に投じること≫
そもそも、わたしにはこの「自分らしい」ということの意味がよくわからない。どうやら理想とする職業、収入、居住地などのイメージがテレビやマンガをつうじて頭のなかに刷り込まれ、そういう人間になりたい、という願望が「自分らしい」ということなのだろう。それ以外の生き方は「自分らしく」ないのである。大都会の中心部のエリートになることだけが「自分」であって、地道な職業につくのは「自分らしく」ない、というのは非現実的である。はっきりいって、わがままである。
だいたい、人間、だれだって生まれつきの「自分らしさ」なんかあるはずがない。もちろん、さまざまな経験のなかから生き方の理想をえがくことは自由だし、理想をもつのはいいことだ。しかし、理想が実現する可能性など皆無にちかい。若いころ技術者になりたかったが結局は金融マンになったひともいるし、その逆もある。古今東西、人生はおもうようにはならない。だから「自分らしさ」などということばじたい、むかしは存在していなかった。
もしも「自分らしさ」というものがあるとすれば、それはあたえられた職業に専念して自立、自活の基礎をつくったときにおのずからうまれてくる性質のものなのである。「六本木の外資系」などという幻想世界にひたるより、日本の人手不足の現実に我が身を投じて、そこに生活の意味をみつけたらいい。そこではじめてほんとうの「自分らしさ」がみえてくるのではあるまいか、とわたしはおもっている。(かとう ひでとし)
東京在住の中国人が15万人の大台に、新宿など3区で1万人超える―日本
2009年8月5日、華字紙・中文導報は、東京都在住の中国人の数が初めて15万人の大台を
突破したと報じた。
首都圏を合わせると29万人以上に達し、在日中国人全体の半数近くに上った。
7月1日時点の東京都在住の中国人は昨年比1万2434人増の15万2539人。
江戸川、新宿、豊島の3区ではそれぞれ1万人を超えた。神奈川県は5万2430人、
埼玉県は4万3615人、千葉県は4万1703人で、首都圏を合わせると計29万287人。
在日中国人全体の44.30%を占めた。
東京都が外国人登録者数の統計を取り始めたのは30年前の79年1月。
当時は全体でわずか11万862人だったが、今年1月には4倍近い40万8284人にまで増えた。
うち中国人は同1万3611人から同14万5320人にまで増え、30年で約10.7倍になった。
だが記事は、これほど多くの中国人が都内に在住しながらも中国人学校が1校しかないなど、
在日韓国人・朝鮮人と比べ、しっかりとしたコミュニティが形成されていないと指摘。
彼らのように地方参政権を求めて訴訟を起こすほどのレベルにまで達していないと嘆いた。
その上で、首都圏在住の中国人に「天の時、地の利は揃った。あとは『人の和』だけだ」と
さらなる団結を訴えた。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=34110
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