ラリピーの王様殺し
http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/entertainers/091002/tnr0910020814003-p1.htm
正確には、王様殺しの目に遭ったノリピー@
なんでもノリピーの保釈後は、出版社・TV局が、それぞれ、独白本(独占手記)とか、復活独占会見中継?なんぞを狙って水面下で動いている・・・
なんて今朝の芸能記事にあったが、そう言えば、昨日の正論で、社会学者の加藤秀俊氏が、今回の騒動を政治・政党・政治家とマスコミに絡めて投稿していたが、まったく同感
芸能界は骨までジャブる!!!ってヤツ・・・・マスゴミも食えないシャブ漬けか?
以下の昨日の正論から引用
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/091001/med0910010337000-n1.htm
【正論】社会学者・加藤秀俊 メディアが作る現代「王様殺し」
≪イケニエの候補者の目印≫
「一目小僧(ひとつめこぞう)」というバケモノのことはご存じだろうが、あれは神様にイケニエをささげる慣習があったころの遺制だ、という説がある。簡単にいえば神様をお祭りするときに、人間をひとり殺して奉納するのである。そのイケニエの候補者を識別するために、あらかじめその眼球に傷をつけて目印にしておく。それが「一目小僧」の起源だというのである。だれを「一目小僧」にするかは村や部族の占い師が決定したもののようである。
殺されるというのは、あんまり愉快なことではないけれども、太古のひとびとはイケニエにされることでみずからも神様の一部になると信じて従容(しょうよう)として死についたのだろう。それにイケニエの候補者として目印をつけられた人間はその生存中から神聖な存在としてだいじに取り扱われた。奉(たてまつ)られ、厚遇され、しばしば神様と同格のもの、とみなされた。
日本だけではない。フレーザーの有名な『金枝篇』という書物には「殺される王」という章があり、世界じゅう、どこでも王様はしばしば殺されたという事例がたくさんあげられている。いや王様が殺されたのではない。正確にいえば最終的には殺すために王様という存在をつくりあげたのである。殺されるかわりに、生きているあいだは尊敬され、ゼイタクもさせてもらえる。要するに「神聖な王」は殺されるべく運命づけられていたのだ。
≪祭り上げて「殺す」儀式≫
なぜこんなめんどうな民俗学の学説をひきあいにだしたか、といえばテレビのタレント某々の麻薬事件の報道があまりにしつっこいからである。わたしは不覚にして、そのタレントたちのことをなにも知らなかった。しかし、事件発生以来、テレビのワイドショーが各局そろってこの人物たちのことを取り上げ、この話題に触れない日はほとんど一日としてなかった。事件の発覚からふた月が経過してもまだ余燼(よじん)がくすぶっている。これは尋常ではない。
だが、これらタレント諸氏がそれまで「神聖な王」として畏敬(いけい)の対象であったとすれば得心がゆく。その「神聖な王」のことを現代用語では「アイドル」という。日本語でいえば「偶像」である。その「偶像殺し」の儀式があのワイドショーだったのである。偶像が偉大であればあるほど、それに比例してそれを「殺す」儀式は壮大でなければならぬ。
そこらの無名の人間が麻薬乱用で逮捕されようと有罪判決をうけようと、そんなことはニュースにはならない。しかし尊崇(そんすう)を一身にあつめる偶像となれば事情はちがう。なにしろ相手は神様である。神様殺しは入念、ていねい、そして執拗(しつよう)につづけられなければならぬ。そして尊崇の念が深かったら、それに比例して悪口雑言をきわめて呪詛(じゅそ)し、見るも無惨(むざん)な方法でなぶり殺しにかかるのである。これが現代版の「殺される王」の運命なのである。
偶像、つまり現代の神々をつくり、いったん「祭り上げ」ておいて、飽きてくるとこんどはそれを「殺す」という手法はべつだん新手法ではない。タレント、歌手、その他あれこれの偶像はテレビ局、プロダクション、芸能ジャーナリズムが共謀して制作する。新人登場というので写真をとる、番組に出演させる、虚実とりまぜゴシップをつぎつぎに流す、「スター誕生」である。
≪芸能リポーター驚く豹変≫
スターなのだから、やがて収入もふえる。高級マンションを購入する。身辺、ことごとくブランド品にかこまれ、一流レストランなどに姿をあらわす。いよいよ「王様」の登場である。さりながら、それもおおむね長くはつづかない。もう、このへんでいいだろう、と見切りをつけて芸能ジャーナリズムはこんどは「王様殺し」にとりかかる。神々の世界も新陳代謝がはげしいから、適当な時期にあたらしい王様を制作してそれまで君臨していた偶像を叩(たた)き落とし、殺すのである。こんどの一連の事件もそうだった。
こうした「祭り上げ」と「王様殺し」の役割を一手にひきうけているのがマス・メディアである。ついきのうまで、才能がある、利口だ、美女だ、と口をきわめて絶賛していた芸能リポーターが、突如としてこんどは醜聞を報じ、脱税を難じ、酒乱、暴行、あげくの果てに麻薬まで、悪事をことごとく暴露する。いったいぜんたい、同一人物がどうしてかくも豹変(ひょうへん)できるのであろうか。わたしにはリポーター、ジャーナリストなるものの心性が納得できかねるのだが、占い師のいなくなった現在、「一目小僧」を選定するのはマスコミなのだからしかたない。
政治、政党、政治家についても「祭り上げ」と「王様殺し」の循環がここ何十年もくりかえされている。きょうの王様は来年にはイケニエになる運命が待ち受けている。それを承知で、かれらはつねに「次」そして「次の次」を夢想し、みずからが「一目小僧」に選ばれるのを待っているのである。(かとう ひでとし)
http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/entertainers/091002/tnr0910020814003-p1.htm
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