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樺太の地図

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『樺太1945年夏 氷雪の門』(からふと1945ねんなつ ひょうせつのもん)は、日本の映画。株式会社JMPが製作。1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送後にも、ソ連軍による樺太(現サハリン)侵攻が行われた。この時に真岡郵便電信局で仕事を続けていた電話交換手9人の乙女に起こった悲劇を描いている。事件は真岡郵便電信局事件として知られている。

玉音放送後の樺太を舞台として、ソ連軍の進攻が迫る中、最後まで電話交換手業務を続けた真岡郵便電信局の電話交換手であった9人の乙女の悲劇を中心に、ソ連による北方領土侵略の史実を描いた映画。

原作は金子俊男の『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』。氷雪の門とは北海道稚内市の稚内公園内にある樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑。

同公園内にある九人の乙女の像は9人の電話交換手の慰霊碑である。多くの団体から推薦されるものの[1] 当時のモスクワ放送が「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対して非友好的」という論評を流したため[2]、東宝系での劇場公開が中止され、独立系での公開のみとなり、ほとんど日の目を見なかった [3]。

終戦間際の1945年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。

8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出された。しかし、交換手の20人は命令に従わず、交換手として「決死隊」に参加。その後もソ連の進攻は止まらず、8月20日には真岡町沿岸にソ連の艦隊が現われ、艦砲射撃を開始。圧倒的なソ連軍の攻撃の前に日本側の抵抗もむなしく、町に侵攻される。

ここに至っても交換手たちはこの非常時における電話通信の重要性のため職場にとどまって仕事を続けていたがソ連軍が間近に迫ると青酸カリにより自決を選んだ。九人の乙女の像にも刻まれた「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が最後の言葉。

「内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。

ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。内地の皆さん、さようなら、さようなら」

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