パンとサーカスと鯛の塩焼き
今朝の正論
パン=子供手当
サーカス=事業仕分け
そして金馬師匠
頭としっぽはいらねえと言ったら
鯛の塩焼きにはならねえんだ
さすがですねえ
パンとサーカス
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パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)は、詩人ユウェナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。
権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。
地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていた。それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていた。そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。現在の社会福祉政策をイメージさせるが、あくまでも食料の配給は市民の権利ではなく為政者による恩寵として理解されていた。また食料の配布は公の場で行われ、受給者は受け取りの際、大衆の視線に晒されるというリスクを負わされた。この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来た。
食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていた。皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産を広く分配したネロ帝や、文字通り金貨をばら撒いたカリグラ帝の例がある。
食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めた。これに対して、権力者はキルクス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供した。こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられるようになり、これをエヴェルジェティズムと呼ぶ。
このような社会的堕落は、ローマ帝国の没落の一因となった。また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した者(これらの多くは土地を所有しない無産階級で proletari プロレタリーと呼ばれた、プロレタリアートの語源)と、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになった。
この「パンとサーカス」はローマ帝国の東西分割後も存続した東ローマ帝国ではしばらく維持されていたが、7世紀のサーサーン朝やイスラム帝国の侵攻によってエジプト・シリアといった穀倉地帯を失うと穀物の供給を維持できなくなり、終焉した。ただし、その後も皇帝が即位時に市民に贈り物を配ったり、年に何回か戦車競争を行うなどローマ皇帝の正統性を示す儀式としては続けられており、帝国末期で国庫が窮乏していた14世紀末の皇帝マヌエル2世の戴冠式の時にも、銀貨が市民に配られたことが記録されている。
ユウェナリスの詩
... iam pridem, ex quo suffragia nulli
uendimus, effudit curas; nam qui dabat olim
imperium, fasces, legiones, omnia, nunc se
continet atque duas tantum res anxius optat,
panem et circenses...
・・・我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、
国政に対する関心を失って久しい。
かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、
今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―
すなわちパンと見世物を・・・
– ユウェナリス『風刺詩集』第10篇77-81行
【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 パンとサーカスでは乗り切れぬ
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091210/stt0912100303002-n1.htm
≪子ども手当はばらまき≫
鳩山内閣の“ハネムーン”期間が最終段階に差しかかっている。9月16日の組閣から数え、年末には100日を超えることになる。そのころには予算編成も終了していなければならないから、予算後の政策運営をどのように進めるか、政権としての議論を真剣に深める必要がある。内閣発足後の政治経済状況を総括すると、「高い内閣支持率」の持続と「経済の悪化」(デフレ、株安)という二つの姿が鮮明になる。
内閣発足後ここまでの推移をみるかぎり、政治的にはそれなりに無難な立ち上がりを示したとの評価が可能であり、一方で経済的には大きな問題を抱えながら有効な政策がないという結論になる。
まず政治的な評価から見よう。鳩山内閣は、まさに「パンとサーカス」の政治を成功させた、と言える。古代ローマの統治術に見るように、国民は生活の糧と見せ物に関心を示す。現内閣のパンは「子ども手当」であり、サーカスは「事業仕分け」である。とりわけ事業仕分けに対する国民の評価は、極めて高いようだ。
政策としてみるかぎり、子ども手当はかなり広範な「ばらまき」と言わざるをえない。もし出生率を高めるための政策なら、これから生まれてくる子供にのみ手当を出すべきであり、いまいる子供に手当を出すのは単なる所得移転である。その金額が大きいだけに、ばらまきという評価をせざるをえないのである。しかし今のところ、国民は「パン」に強く反応している。
≪経済「予見可能性」が低下≫
もう一つの事業仕分けはどうか。そもそもこれは、地方自治体の支出のように誰の目にも分かりやすい事業を外部チェックする仕組みであり、国政にはなじみにくいものが多い。むしろ子ども手当のような項目こそ仕分けの対象とすべきなのに、これは対象からはずされていた。事後的に見る限り、財務省が削りたい予算項目を意図的に仕分けの対象とした、という側面は否定できない。しかし、官僚がやり込められるシーン見たさに会場には2万人が詰めかけ、問い合わせは200万件を超えたという。見せ物としては、近年にない大成功となった。
このように鳩山内閣は、パンとサーカスによって政権発足当初の混乱をそれなりに乗り切ったということができる。
しかしこの間、経済の停滞はますます深刻になってきた。麻生政権の放漫な財政運営の短期的効果として、GDP(国内総生産)はここ2四半期プラス成長になっている。ただし、中国や韓国など近隣諸国の高成長と比べると決して高い成長ではない。加えて、株式市場は極めて停滞色を強めている。株価の低迷以上に真に懸念されるのは、株式市場の売買高自体が大幅に低下していることだ。最近の売買高は、1年前のおおむね半分だ。これは、日本経済にこれまで以上に厳しい見方が広がっていることを象徴していよう。
こうした背景にある基本要因は、民主党政権において経済の「予見可能性」が著しく低下したことである。そもそも現政権が経済成長を真剣に考えているのか、財政健全化をまじめに考えているのかどうか、という基本姿勢が見えないのである。民主党自身は、政策プロセスの透明化をうたい文句にしてきたが、現実は時計の針を巻き戻すように大幅に後戻りしている。
≪小さな前進・大きな後退≫
その典型は、予算編成プロセスの不透明化だ。一部に事業仕分けによってプロセスが透明化したという評価が聞かれるが、そもそも概算要求の前段階で「予算の全体像」を公表するという重要なプロセスが今回は割愛された。予算の全体像は、マクロ経済の動きを想定したうえで、また政策の重点項目を確認したうえで、予算の大枠を決めて予算編成の指針とするものだ。このような全体像は、2002年度から公表されるようになったが、政権交代後の民主党政権下では全く議論されていない。
その意味で予算決定プロセスは、森内閣以前に戻ったことになる。だからこそ予算編成作業が混乱しているのである。事業仕分けで個別事業の一部について情報が国民に開示された半面、その基本方向に関するより重要な情報が見えなくなってしまった。小さな前進・大きな後退である。
今後の予見可能性を左右する最も象徴的なイベントは、1月に公表されるであろう“経済財政の中期展望”だ。これは小泉内閣の発足後2002年から作成されるようになったもので、5~10年の中期的な予見可能性を高めるものとなった。民主党政権で果たしてこれが示せるのか。示したとして、説得的なシナリオになっているのか…。明確な成長戦略とデフレ対策を持たない政権にとって、大きな試金石となる。
もしここで十分な対応ができなければ、野放図な財政赤字の拡大による国債市場の大混乱が、いよいよ視野に入ってくる。パンとサーカスだけで、経済はよくならない。(たけなか へいぞう)
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