始末の極意
最後は自分もムダに・・
今朝の産経 正論より
【正論】社会学者・加藤秀俊 文化芸術は実利主義では育たず
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091224/plc0912240235006-n1.htm
≪最後は「自分」もムダに≫
ある男、女房、番頭、それに丁稚(でっち)を置いて4人で商売に精を出す。売り上げも順調。そこで考えた。この商売、人手を減らしてもやってゆけるんじゃあるまいか。丁稚をクビにして3人で店を経営してみると、これでもだいじょうぶ。そんならふたりでもよろしかろう、と判断してこんどは番頭に暇をだして、夫婦だけでやってみたらそれでも商売は順風。こうなると女房だってムダだ。そこで離縁。たったひとりで店に立つ。それでも経営はビクともしない。そこで男は考えた。なるほど、俺もムダだったのだ、と結論し、首をくくって死んでしまった。
おなじみの小咄(こばなし)だ。4人でできるしごとを3人でできるなら1人はムダである。3人ぶんの作業を2人でできるなら1人ぶんのムダを排除できる。そうやってムダを整理してゆけば最後はじぶん自身もムダだ、ということになる。
引用終わり
TODAY1∞・・朝の通勤電車で読みつつ、ははは、そんな落語があったなあ・・・とは思ったが、いったいなんだっけか??と、会社の机の中に全巻そろって入っている、古典落語(興津要編・講談社文庫)を開くが・・・今はそんなことしなくても、ネットで探せばすぐ分かるか・・・と引っ込めてググって思い出したのがこの噺。
まあ、いろいろパターンのあるうちの一つの噺だが、年末も近いし、そろそろ、アーデルングハウス状態の身の回りを整理するか・・・・
しかし・・・自分もムダで消えてなくなる・・・・・
希死念慮の袋小路ってやつか???
過去に拘る者は未来を失う!!(ニッポン放送)
そういう念慮もろとも全部捨て去ろう!!!
そんで・・・・・・・飲もう!!!
独りできょうも!!!
自分にメリークスリマス!!!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005GMP9/tamasos-22/ref=nosim/
三代目桂米朝 始末の極意
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2009/09/post-56ec.html
10人奉公人を使うて手広う商売していた商人がおりましたが、「10もいるのはどうも無駄や」と謂うので、半分の5人に減らした。
やってみると、5人でもまだ間に合う。
もう少々減らそうとまた3人暇を出して、2人だけ使うてやったらそれでも間に合う。
「そんならもう要らん」ちゅうて全部馘にしてしもた。
夫婦差し向かいで走り回ってやったら、それでも間に合う。
「そんならもう嫁はん要らん」ちゅうてこれ離縁してしもうてね、おのれ1人で走り回ってやったらそれでも間に合う。
「…わしも要らんらしい」言うてどっか行ってしもたてな話があります。
始末の極意
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
始末の極意(しまつのごくい)は古典落語の演目の一つ。
小噺の積み重ねと言う特殊な構成となっている為、単体で演じられることは少なく、「味噌倉」、「位牌屋」、「片棒」等、数々の「ケチ噺」のマクラに差し挟まれる事が多い。
初代桂春輔は『節約デー』という演題でSPレコードが残されている。
ブログネタ: 大掃除シーズン到来! あなたはモノを捨てられる?
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