プロレタリアートの意味
http://www.mxtv.co.jp/nishibe/
西部邁ゼミナール ~戦後タブーをけっとばせ~
安保闘争50年あの莫迦騒ぎは何だった▽日米安保を双務的なものに変えようとした岸政権▽信頼、裏切り、勇気、卑怯、人間の二面性▼ゲスト 東原吉伸、長崎浩
当たり前のことを忘れた日本人!歴史、文化、伝統、言葉の意味を再認識できる番組。戦後タブー視された課題について、ユーモアを持ちながら正々堂々!真剣に議論する。ジャーナリストから政治家まで多彩なゲストをお招きします。
出演
【出演】西部 邁,秋山祐徳太子 【ゲスト】東原吉伸,長崎浩
TODAY1∞ けさ、布団の中で眠りながら聞いていたMXTVの西部ゼミナール。全学連時代の自身のアジ演説とは、聞いている学生には理解できなくても共感を呼び起こす不思議な言葉の力があった???みたいなことを言っててうーんと思う。
残念ながら見ないで寝ながらTV音声を聞いていたので、ネット上に公開される録画を待つしかないが、去年の暮れに放送したヤツも、そういうようなニュアンスの話があったような??
上のヤツは去年の録画
さて今朝のヤツでは、一般的なプロレタリア・プロレタリアート・・・の意味を解説してたが、もともとの語源はローマ時代にさかのぼるそうで、子供を作るくらいしか能力のない人間(注:そういうふうに聞こえただけで、ニュアンスは異なる)と言ってたが、一連の女性は子供を産む機械発言のような語源なのか???と思いつつ、さっきググったら出てきたのでWIKIから抜粋。
歴史
古代ローマ時代の住民統計ケンス(ラテン語: Census:センサス→国勢調査)で、自分の子供以外に富を生み出す財産を持っていなかった階層の人々を指すものとして用いられたラテン語のProles(英語:offspring)に由来する。
らしい。
ってことは、それすらも出来そうにない私はプロレタリアート以下の階層に属すことになるな!!!
すなわち、ルンペン・プロレタリアート
おれも派遣村で2万円もらってトンズラしたかったな・・・・でも、今見ていた4チャンの番記者では、2万円もらった派遣村の人がコンビニで酒を買うシーンを放送していたが・・その店の外からTV局が盗撮した村人の右手には・・・・・なんと
のどごし生(139円~142円)1缶
なんだ俺と同じ趣向か・・・と思ったが、ついでに日本酒カップも買ったようだし、他の人は発砲酒じゃなくてビールのロング缶を二本買ってた。
あぶく銭を貰って高いビールを選んだ人、安い発泡酒を選んだ人・・・どちらが勝ち組となるか???
いずれにせよルンプロの同志よ!!!ガンバレ!!”!
♪立て万国の労働者~
おれホントに共産党に入党しようかな!!
以下は長いWIKI
プロレタリアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロレタリアート(ドイツ語: Proletariat)とは、資本主義社会における賃金労働者階級のこと。個々の賃金労働者はプロレタリアと呼ばれる。雇用する側の資本家階級を指すブルジョアジーと対になった概念で、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが『共産党宣言』で使った例によって広く普及した。
歴史
古代ローマ時代の住民統計ケンス(ラテン語: Census:センサス→国勢調査)で、自分の子供以外に富を生み出す財産を持っていなかった階層の人々を指すものとして用いられたラテン語のProles(英語:offspring)に由来する。
ルンペンプロレタリアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルンペンプロレタリアート(独:Lumpenproletariat)とは、日雇いなど種々雑多の最下層の労働者階級の蔑称を指す。略して「ルンプロ」ともいう。またこの言葉より派生して日本で浮浪者を指してルンペンと称することもある。
歴史
カール・マルクスは、無産階級や労働者階級の中でも革命意欲を失った極貧層を「ルンペンプロレタリアート」と定義し、「ルンペンプロレタリアートは信用ならない」「反革命の温床になる」と退けた。この背景にはルイ・ボナパルト(後のナポレオン3世)のクーデターがフランス第二共和政を崩壊させてしまったことから来るマルクスの憤りが含まれている。ルイ・ボナパルトの軍隊にはマルクスが「ルンペンプロレタリアート」と呼ぶ最貧層の者が多く含まれていた。原義的には「ブルジョワ階級の扇動に乗りやすく(共産主義)革命に非協力的な最貧層」ということになる。そのようなマルクスに対してミハイル・バクーニンは、ルンペンプロレタリアートこそが革命の基盤であると高く評価し、プロレタリアート以外の最下層階級を主勢力とする第三世界の革命闘争はマルクス主義的ではなくバクーニン主義的であるとする見方が多い。
このことから20世紀になると、スターリニズム粛清や文化大革命のような出来事が生じた。つまり、指導部や独裁政党に従おうとしない極貧層は、暴力を用いてでも政治的目標や国家エリートの政策・方針に従わせなければならず、従わないときは最悪の場合、「粛清」という名目で殺してしまっても構わない、という考え方が共産主義運動の国際的な流れとなったのである。それに対して日本の左翼党派は政治的に国家の実権を握ることは無かったのでルンペンプロレタリアートを含めた貧困層を基盤にしてきたが、新左翼も基本的にこの延長線上にある(山谷争議団など)。日本の左翼・労働運動にはマルクスよりもバクーニンなどとの類縁性がうかがえる。
| 固定リンク
最近のコメント