« 笑う犬 | トップページ | 二番煎じ »

ポンポン大将 (ぽんぽこ大将) NHK

Ponpon

ポンポン大将('60.9.4~'64.4.5)
隅田川で働く若いポンポン船の船長(桂小金治)と、施設から引き取った3人の子どもたちが繰り広げる、底抜けに明るいユーモアとペーソスにあふれた人情物語。

http://www.nhk.or.jp/archives/archives-catalogue/pglist/pglist_1960-64.html

会社のビル掃除のおばさんの生まれが鴨川の太海、しかも仁右衛門島で若いころバイトしてたそうな?

仁右衛門島のことを聞いたら 当時は、鴨川出身のなんとかさんという俳優が居て、よく石原裕次郎さんとか、桂小金治さんなんかがロケに来たりして、かなりにぎわっていたようだ。

なんでも、地元ロケの時に桂小金治の「ぽんぽこ大将」にもチョイ役で出たそうで・・・・さっそく、ぽんぽこ大将でググるが見つからず???と思っていたが・・・

ぽんぽこではなくて、ポンポンだった@@

桂小金治さんの逸話はけっこう泣けるものが多いが、一杯のかけそば的に正月だから紹介しておこう。

烏賊・・・じゃなくて以下 WIKIより

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%B0%8F%E9%87%91%E6%B2%BB

桂小金治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桂 小金治(かつら こきんじ)は落語家の名跡。当代は2代目。

2代目桂小文治の門弟に与えられる名跡である。

    * 初代桂小金治 - 後の2代目桂枝太郎
    * 2代目桂小金治 - 本項にて詳述。

2代目桂 小金治(かつら こきんじ、1926年10月6日 - )は、東京府豊多摩郡杉並町(現東京都杉並区)生まれ、目黒区下目黒に在住する落語家、俳優、タレント。本名、田辺幹男。血液型はA型。現在は桂小金治事務所に所属。帝京商業学校(現帝京大学高等学校)卒業。

江戸前の歯切れの良い滑舌で、古き良き時代の江戸落語を聴かせる。また、映画やテレビドラマ、バラエティー番組に数多く出演し、ことにワイドショー番組の名司会者として名を馳せた。

孫の山岸快も俳優として活動している。

小金治は「五代目柳家小さんの弟子」と自ら名乗っている。前座だった小金治は、ひょんなことから真打になったばかりの小さんの高座を観た。小金治は「なんとこの人はうまいのだろう」と驚き、小さんから稽古をつけてもらうべく、すぐさま師・小文治に頼んだ。失礼な頼みであるが、上方落語の小文治は「東京出身の落語家は東京の落語をやるべき」との思いから、弟子には自らの上方風の落語を教えないようにしていたため、弟子が他から正統江戸落語を教わるのは良いことと考え、すぐさま自ら小さん宅に電話をかけ、小金治への稽古を依頼した。若き小さんにとって小金治は「最初に落語を教えた人」である。正式な師弟関係がなくても、小金治が「小さんの弟子」と名乗るのはこのような事情である。

前座の小金治が、いつものように5代目柳家小さんの自宅に赴き、落語を習っていた。
稽古が終わると、戦後まもない食糧事情の悪いころなのに、小さんはいつも白いご飯を食べさせてくれた。「さすが売れっ子(=小さん)は違うな」などと小金治は思いこんでいた。ある日の稽古後、小さん家を辞した小金治が、忘れ物をしたことに気づいて再度小さんの家に戻ると、家族4人で食卓を囲んでいたのが見えた。「さぞかしうまいものを食べているに違いない」と覗き込んで小金治は驚いた。小さん一家は、一個の芋を4人で分け合って食べていたのだ。

若き小金治が師匠小文治に泣きながらこのことを話すと、小文治は「柳家小三治(小さん)はお前に落語を教えようとしているんじゃない。落語を後世に残そうとしているんだ」と言った(テレビ朝日『徹子の部屋』2003年10月6日放送「小金治 涙・小さん夫妻の銀シャリ」)。


映画のギャラについて諭し、小金治を映画界に転身させた師匠小文治だが、もともとは「銭残す暇があったら噺残せ」と小金治に教えていた。その反面、「金を残しいや。金がないと馬鹿にされるさかいな」という言葉も残している。

次男がニューヨークに住んでいたこともあり、1980年代後半からニューヨークを頻繁に訪問し、現地の日系人会のお年寄りを対象に「人の心に花一輪」という題名の講演会を行い、ボランティア活動も積極的に行っている。

|

« 笑う犬 | トップページ | 二番煎じ »

映画・テレビ」カテゴリの記事