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知らなかった訃報 瞑目合掌

Tamaokisan

http://sankei.jp.msn.com/photos/entertainments/music/100212/msc1002121554001-p3.htm

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100213-595414.html

玉置宏さん死去、著作権問題でも心労

「1週間のごぶさたでした」の名せりふで知られたベテラン司会者で「横浜にぎわい座」館長の玉置宏(たまおき・ひろし)さん(本名・宏行=ひろゆき)が11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で亡くなったことが12日、分かった。76歳だった。この日、近親者による密葬を済ませ、後日「お別れの会」を開く。玉置さんは4日夕方、脳幹出血のため倒れ、重体の状態が続いていた。

 12日午後4時すぎ、横浜市内の自宅に戻った長男雅史さん(38)によると、玉置さんは11日午前、容体が急変し、親族にみとられて息を引き取ったという。同日夜に通夜、この日午前に親族約30人で密葬を行い、荼毘(だび)に付した。密葬に芸能関係者の姿はなく、弔問も断っているという。「年相応にがたがきていたけれど、検診を受けるぐらいで、体調が悪いということはなかった。密葬はしめやかに行ったが、お別れの会はにぎやかにできれば」と話した。

 玉置さんは4日昼すぎに館長を務める大衆芸能専門館、横浜にぎわい座に出勤予定だったが、同日午前に玉置さんから「遅れて午後3時になる」と連絡が入り、夜に家族から「体調不良で休みます」と電話が入った。同日夕方に脳幹出血で倒れ、自宅近くの病院に救急車で搬送された。重体の状態が続いていた。

 8日に雅史さんがにぎわい座を通じて、入院は認めたが、病状は明かさなかった。にぎわい座には亡くなった直後に連絡が入ったが、公表は密葬後の12日午後にと要望されたという。

 玉置さんは08年、NHKのラジオ番組「ラジオ名人寄席」で著作権を持たない自分の古典落語のコレクションテープを放送したことが発覚。同番組は打ち切られた上に、著作権使用料計1300万円を全額負担した。さらに、テレビ東京系「昭和歌謡大全集」の司会も責任を取って降板した。そのころから心労のためか酒の量が増えて、体調も悪くなったという。

 明大卒業後の56年、文化放送の番組に出演。歌手の故三橋美智也さんの専属司会を経て、58年から19年間続いたテレビ番組「ロッテ歌のアルバム」や「象印スターものまね大合戦」の司会で活躍した。流麗な語り口と歌手の特徴をつかんだ紹介は「玉置節」と呼ばれ、歌謡番組司会の第一人者となり、冒頭の「1週間のごぶさたでした」のあいさつは流行語になった。

 美文調で秒数ぴったりの玉置節はムードを盛り上げ、歌手の歌いやすさを演出した。決して悪口、皮肉を言わず、ヨイショする名調子に「ゴマすり」と陰口もたたかれが、玉置さんは「商品である歌手を美しい包装紙で飾る。視聴者や観客は、買い物をされるお客さま。私は、言ってみればセールスマンでもあり、商品を傷つけるのはセールスマン失格です」と話していた。名調子のために毎回、本番前には歌手の控室に行きあいさつ。その時の顔色や声質を台本に書き込んだ。この台本を歌手は記念に奪い合ったという。

 日本司会芸能協会会長などを歴任し、02年に横浜にぎわい座館長に就任。横浜ベイスターズのファンとしても知られ、98年に38年ぶりにリーグ優勝した時にはテレビ朝日系「ニュースステーション」の冒頭に出演し「38年ぶりのごぶさたでした」とあいさつした。

 [2010年2月13日9時19分 紙面から

けさはオリンピックの4位のニュースばっかりでウンザリだが、うえちゃんのラジオで玉置さんがお亡くなりになったことを知ってビックリ。

NHKの落語番組は実際に聞いていたので残念だが・・・・

瞑目合掌

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