本屋のカバー
もう店じまいしてしまったが、人形町の交差点のところにあった本屋で、奥のレジのおじさんが、その場でハサミで切ってブックカバーをかけてくれるのを見るのが楽しみだった。
なんとなく職人芸を見るようで、なんだか得したような気分になったものだが、現在、小伝馬町の角の本屋さんが、その技術?を受け継いでいる。
ブログネタ: 教えて「本屋さんでのエピソード」
玉置宏さんを死に追いやったTBS
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川戸貞吉
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川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年 ‐ )は、演芸評論家。元TBSアナウンサー、プロデューサー。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部卒業。
早稲田大学で落語研究会に入会。その時代に、同世代だった柳家小ゑん(後の7代目立川談志)、三遊亭全生(後の5代目三遊亭圓楽)、林家照蔵(後の5代目春風亭柳朝)、古今亭朝太(後の3代目古今亭志ん朝)など当時の若手と知り合い、落語にさらにのめり込む。また、8代目桂文楽にも目をかけられた。
1961年にラジオ東京(現:TBS)に入社。なお、入社同期に新村尚久がいた。
最初はアナウンサー職だったが後に、ディレクター、プロデューサーに転身し、多くの演芸番組や録音番組のほかに、ラジオドラマなどを制作して、1993年に退職。 落語評論の分野では、「現代落語家論」シリーズで、落語家との対談形式で、別の落語家を論じるという、今までになかった方法を考案。
また、学生の頃から集めはじめた落語の高座の録音テープの収集[1]は日本有数とされ、その貴重な音源を元に、ラジオ番組「早起き名人会」で放送。珍しい録音の数々に、落語ファンの間で人気番組となった。また、その音源を元に、『席亭 立川談志の「ゆめの寄席」』など、多くのCD化がされている。
「貞やんを(落語界で)知らぬ者はいない。知らない奴は馬鹿かモグリだ」と立川談志から評される業界名物人間であり、確固たる実績を誇っている一方で少なからずトラブルを起こしている。
2002年、落語協会機関誌「落語の友」において、春風亭小朝が描いた文章に「匿名にこそしてあるが事実上自分を名指しにしている。そして事実と違う。引き合いに出された故人(噺家)にも失礼。紙に書いたことは後世に残る」と激怒。猛抗議の末、該当号を回収・改定のうえで次号にも大きく訂正記事を掲載させた。 「事実を確かめもせずに」と川戸の怒りは収まらず自身の著書「落語大百科第5巻」のあとがきにおいてもこのことに触れている。もっとも、楽屋での噂話を(該当人物が存命であるのにもかかわらず)確認を取らず書くこと自体は川戸自身も行っているため、自身が目をかけていた小朝に裏切られたという私怨による抗議と解釈されている。その後機関誌の発行は休止状態に陥り、その状態は現在も続いている。
2008年2月には、NHKのラジオ番組「ラジオ名人寄席」において、かつて自分が担当した番組「早起き名人会」などで放送した内容が、無断で放送されていることについて指摘した。このことにより、「ラジオ名人寄席」においての音源無断放送行為があきらかになり、番組は終了。しかし、NHK及び司会の玉置宏サイドの対応に不満を持ち、またNHK側の発表に事実と違う部分があると川戸に事態を相談したエンジニアの草柳俊一と共に同年3月31日に会見を行い「玉置宏は落語を食い物にしている[2]」「責任を取って横浜にぎわい座の館長も辞任すべし」と批判した。司会の玉置宏は以後メディアから姿を消した(横浜にぎわい座館長は関係者の慰留もあり続投)。また、この事件の影響でNHKラジオの過去の演者・演目の落語演芸関連の放送を行う番組(番組内でCD等から放送する番組)は急速に減り、2009年3月末を以って、1番組も無くなった。一連の事件の心労から、玉置は体調を崩し(軽度のアルコール依存症状態に陥っていたという)、2010年2月11日に脳幹梗塞の為急死した。「あの事件がなければ」と惜しむ声も多く、川戸らの対応を暗に批判する声も出ている。
# 著書によればテレビ局員の立場を利用し、局のライブラリーから音源をダビングし入手した音源も多く、川戸の複製によって消失を逃れた音源も少なくないが、この行為は触法行為であるという解釈も出来るがそのことに触れるものは表立ってはいない。
# ^ TBS退職後、落語評論家として活動している川戸も同類ではという声も上がった
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