myopia (マイオピア)
マーケティングマイオピア(近視眼的マーケティング)
Marketing Myopia
企業が自社のマーケティング上の使命を狭く解釈しすぎて変化への対応力を失ってしまうこと。
ここんところずっと日曜日は寝まくりで、昼ごろまで寝ているが、今朝2週間ぶりにMXTVの西部ゼミナールを見る。
その中ではじめて聞いたのが、MYOPIA・・・??、なんでも、直前直後の出来事でしか物事を判断できない人?のことで、近視(myopia)という単語から作ったのか??、マイオピックとも言うらしい??
??が多いのは、布団の中で寝っころがりながら薄目で聞いていたのではっきりしないのだが、近視症・・・・つまり近視眼的史観と言うらしい。(近視史観)
長い歴史の流れのなかで事柄を判断するのではなくて、きのうはアレだったから明日はこうだろう?みたいな考え方をする人・・・つまり民主党の鳩山さんを揶揄する意味で使っていた。
で、ゲストの宮崎さん、すかさず・・・・「鳩山さんは天気予報士ならば、世界一素晴らしい適職だ」なんて言ってたが、ニヤニヤしつつ同意。
↓ 以下はマイオピックでググってヒットしたページ
http://www5.ocn.ne.jp/~bestbook/v0804.html
(前略)
この40余年で、我が国の食糧自給率は80%から40%へと半減した。そのことへの警鐘が時折に鳴らされているとはいえ、国民も政府も、自給率の改善に本気で取り組もうとはしていない。世界各国が食糧自給の長期戦略に、それらが成功裏に進む保証はどこにもないとはいえ、ともかく血眼で取り組んでいる。それなのに我が国だけは、まるでその日暮らしの蝉のように、ほんの当座、「グルメ料理」とやらに舌鼓を打ったり、レトルト商品とやらを喉に流し込んでいればそれで十分、というふうに能天気を決め込んでいる。
なぜ、自分らの「子孫」の生活を本気で心配しないのか。子孫のことを口先だけで心配して、本音としては、自分の生と死になぜかくも拘泥するのか。それが日本人の国民性だなどとはとても考えられない。それどころか、かつての日本の(家族制度を含めた)集団運営法は「過去世代の知恵を現在世代が受け継ぎ、それを将来世代に継承させる」ことを旨としていた。そうした世代間の連続性が(子孫の食糧問題を直視するのを止めるほどに)断ち切られたについては、何らか特殊な事情が、この戦後の60年余、作用していたに違いないのである。
第1に、たった1度の敗戦で、この列島ではみずからのネーションフッド(国柄)への自己不信がかつてない高みに達してしまった。「国家」とは「国民とその政府」のことを意味するにすぎない。それなのに、国家という言葉すらを忌み嫌う、それが戦後の習わしになっている。「国民」が「国の歴史」を背負う人々のことを意味する以上、国家こそは世代間の連続性を促進する制度である。それが軽んじられれば、子孫の食糧問題に真率な関心が向けられるわけもない。
第2に、リフォーム・トゥ・コンサーヴ(伝統を保守するための現状の改革)ではなく、チェンジ・トゥ・チェンド・イットセルフ(変化それ自体のための変化)が尊ばれる「革新の時代」にあっては、未来はデンジャーもしくはクライシス(危機)に満ちたものになる。ちなみにリスク(危機)というのは確率的な予測の可能な不確実性のことであるが、そんな都合のよいリスクなど、(「実験」の叶わぬものとしての)歴史にあっては、社会のほんの一部分にしか生じない。かつて経験したことのない変化が休みなく生じる革新の時代を覆うのは危機であって危険ではない。
そんな危機の時代にあっては、国民によって記憶されるのは近過去のみであり、それゆえ予測されるのも近未来だけである。これを文明のマイオピア(近視症)という。マイオピックな国民が子孫の食糧にまで配慮を及ばさないのは至極当たり前のこととみなければならない。
農業復興のためのヴォランティア(「自発」の意志に発する「義勇」)が開始されないのは、我が列島人が、遠過去と遠未来を見通すという意味での、長期的なパースペクティブ(展望)を失ったからだ。「スペク」とは「見ること」であるから、パースペクトとは「あたりを見ること」である。しかしこの列島に大量に発生しているのは、スペシャリスト(専門人)だ。(後略)
http://www.mxtv.co.jp/bangumi/
目覚めよ、長き平和という昼寝から▽対等な日米同盟とは?▽議論もできない核武装・自衛隊強化・徴兵制
▼ゲスト:評論家・宮崎正弘、一水会代表・木村三浩
当たり前のことを忘れた日本人!歴史、文化、伝統、言葉の意味を再認識できる番組。戦後タブー視された課題について、ユーモアを持ちながら正々堂々!真剣に議論する。ジャーナリストから政治家まで多彩なゲストをお招きします。
【出演】西部 邁,秋山祐徳太子 【ゲスト】宮崎正弘、木村三浩
もっとググったら、経済用語であるらしい
http://www.mitsue.co.jp/case/glossary/m_062.html
マーケティング・マイオピア(近視眼的マーケティング)
1960年刊行のハーバード・ビジネス・レビューで、セオドア・レビット教授が用いた言葉で、それまでの欧米企業で支配的な考えであったモノづくり絶対主義をやめて顧客満足追求を目的とするマーケティングを中心に企業は活動すべきであるという主張です。このレビットの主張は、マーケティング史上、コペルニクス的転回となり、ものすごい勢いで人気を博しましたが、実際に企業が製造からマーケティングへ企業活動の中心を移したのは1980年代に入ってからでした。
この主張は今なお、現代のビジネスに大きく影響を与えており、現代の顧客志向マーケティングを40年以上先取りしたものと言えます。
- 『戦略的ブランド・マネジメント』ケビン・レーン・ケラー著、東急エージェンシー
マーケティングマイオピア(近視眼的マーケティング)
| 固定リンク
「心と体」カテゴリの記事
- 膝が痛い(2024.09.10)
- ノコギリ傷(2024.01.24)
- 右胸の肋骨あたりが痛い(2023.09.20)
- ショートステイから戻ったオフクロ(2021.03.26)
- とうとう大腸検査(2021.02.02)
最近のコメント