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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100420/214084/
日経ビジネス オンラインから引用
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100420/214084/
「日教組」ってイメージ悪い?
執行委員長が激白「それは校長がだらしないから」
日経ビジネスの4月19日号では、「ニッポンの聖域」シリーズ第2回として「日本教職員組合」を紹介しました。言うまでもなく、公立の小学校や中学校の教職員などによる労働組合としては国内最大です。組合員数は27万人超を誇り、組織率は27.1%(2009年現在、文部科学省調べ)。民主党の最大支持母体の1つとして、「子ども手当」や「高校の無償化」など、希望する政策を次々と手にしています。
一方で、全国集会を開こうとすると予約先のホテルから突然拒否されたり、傘下の北海道教職員組合が「政治とカネ」の問題で幹部が逮捕、起訴される事件が起きたりします。どうも、「教師」という響きとはかけ離れた存在を感じざるを得ません。より深刻なのは、教育現場に組織運営という規律をなきものにした上で楽な労働を追い求め、時にその影響が我が国の成長の源泉である子どもたちに及ぶことです。
もちろん多くの教師の方々は、「子どものため」を思って日々教鞭を執られています。そうした方々に悪影響を与えかねないとも言える、日教組トップの中村讓・中央執行委員長はどんな人物で、どんな言葉を口にするのでしょう。
緊張しつつ、そっと委員長室のドアを開けてみます。
「あ、今日はよろしくお願いしますねえ。ソファーの壁側の席に座ると腰が沈んじゃって偉そうに見えちゃうから、こっちの浅く座る方でいい?カメラマンさん」
なかなかフレンドリーな人である。しかしその素顔は、次第に現れてくる。
(聞き手は杉山俊幸=日経ビジネス副編集長)
それは「剥落学力」なんです
―― 文部科学省は今、脱「ゆとり教育」へと大きく舵を切る途上にあります。教育現場の様子はどうですか。
日本教職員組合の中村讓・中央執行委員長(写真:村田和聡)
中村 ゆとり教育を見直す背景の1つには、経済協力開発機構(OECD)が2003年に実施した(15歳対象の学習到達度調査である)PISAで順位が落ちたことがあると言われています。
―― 確かに日本は数学的応用力がその前回の1位から6位へ、読解力では8位から14位に転落しました。
そう、でもね、何が学力かってとっても難しいんですよ。我々は少なくともPISA型のものを、「剥落学力」と呼んでいます。試験までに詰め込んで、それが済めば剥げ落ちていってしまう学力という意味です。
そんな試験の結果に左右される日本の教育はおかしい。一方、かつては東大一直線みたいなものが掲げられ、今でも東大を目指すか、それとも(メジャーリーグの)イチローとか松井(秀喜)みたいになるのを理想型としてしまっているのもまたおかしい。その2つしかないのかな。子どもが進むべき道って。もっと牧歌的でもいいんじゃないかと思うんですよね。東大、イチロー路線に馴染まない子どももいるよね。
―― その通りですね。授業が分からないためクラスに馴染めず、不登校になる小学生や中学生もいます。そうした子どものために、学校5日制に拘らず土曜授業もあっていいとの考え方もあります。私立学校のように。
いまだに存在する「校長着任交渉」
そんな質問より、教職員の数を増やしてもらいたいね。もう今、教育現場は大変なんですよ。数年前から、説明責任、説明責任とか言われてね。(公立学校の設置者である)教育委員会や文部科学省への報告やそれに伴う雑務に、教師は日々追われてしまっている。もっと、スタッフ職の人がいないと、教師の仕事は回っていかないのが現実です。
―― 本当にそうでしょうか。例えば北海道のある公立中学校の校長からは「(日教組に加盟する)北海道教職員組合(北教組)は、毎日、いかに楽して稼ぐかばかりを考えている」との厳しい声も聞かれます。新任校長に対して、組合は従順な人物かどうかの瀬踏みをする「校長着任交渉」を学校単位で実施する。その後も1カ月おきに「校長交渉」が行われています。組合の同意がなければ、校内人事すら行えない学校もあるようです。
まだやってます? 北海道ねえ。一部の学校でしょう。ただ誤解してほしくないのは、校長が着任するのを組合が拒否したりするものではありませんからね。
だから北教組につけ込まれるんですよ
我々、教育に携わる公務員には、労働三権のうち労働組合を作る団結権はありますが、団体交渉権と争議権は認められていません。だから、民主的な職場を作っていくためにも、教師が校長などに対してモノを言える環境があってもおかしくないと思うんです。
でも、今のご指摘について言えば、(校長が)自分の指導力が欠如しているんじゃないですか。だらしないんですよ。全部、組合のせいにして。雑な表現で恐縮ですけど、だから北教組につけ込まれるんですよ。
―― 確かにつけ込まれることが多いようです。
イメージ悪いですよね、でも、「校長交渉」とか言うと。校長を差しおいて組合が校内を牛耳っているみたいに聞こえますから。我々にだって正当な理由があるけど、それにしても世間とか親御さんからの印象は悪いよね。
1つ申し上げておくと、北教組の方針に対して、日教組がああせいこうせいとは言えないんです。逃げるわけじゃないですけど。我々は、本部と支部というタテの関係ではなくって、各都道府県の単組が日教組に加盟する連合体なんです。
「なべぶた式」でいいじゃないかと主張
―― 日教組は職場で監督されること、序列化を極端に嫌います。学校における組織運営というものをいかがお考えですか。
教育職場に、上意下達の指揮命令は馴染まないんです。文科省や教育委員会があって、そのもとに学校があって、そこに校長がいて教頭がいる。おまけに(教務主任や、学年主任といった)主任制度まである。
我々は、「なべぶた式」でいいじゃないかと主張してきたのです。つまり、学校の監督者として校長くらいはいていいけれど、その下はフラットな形という意味です。そんなに細かく階層化してもいいことなんて何1つない。
―― 企業では社長や、取締役、部長、課長、係長など、ある程度の階層があるし、それは官庁などの公務員も同じこと。なぜそこまで階層化、序列化が嫌なのですか。階層化に伴う上司からの評価を高めるための努力が面倒くさいのですか。
子どもの前では、あくまで教師なんです。そこに序列はない方がいい。自然発生的にチームリーダーが出てきますから。それはベテラン教師であることが多いから、給与も年功序列が適当でしょう。
杉山さんはアウトローじゃない
―― 歳をとれば、努力しなくても給料が上がるシステム。
僕らは大学で単位を修めて、教育実習もやって、それで教員資格を得てもなお、教員の「空き」がなければ教壇には立てないんです。ある種の「専門職」ですよ。なのに、箸の上げ下ろしみたいな事細かなところまで、どうして管理されなくてはいけないの。それも、授業の具体的な進め方とかまで。管理的側面を強める必要はないですよ。
主任制度なんてまだきちんと機能していなかった頃の学校で学んだ杉山さんは、じゃあ社会において今アウトロー的な存在になっていますか? お見受けしたところ、そんなことはない。主任なんかなくても問題ないという証なんですよ。あなたは。
―― 今、私は褒められているんでしょうか…。
記者さんだって一緒でしょ。職場の上司から管理、指導なんてない方がいい。
―― どうでしょう。デスクから管理・指導されながら、部下の記者が育つのはよくあることです。
社会科の校長や教頭が、専門性の高い音楽の先生を、どうやって指導できます? 数学の先生を管理できますか。本来なら、同じ教科の先生たちが自主的に集まって、皆で学び合った方がいいに決まっている。まあ「なべぶた式」で、校長1人が管理するくらいはいいですが。
授業を5分短縮するのは誰のため?
―― 指揮命令など学校内でガバナンスが利いていないと、そのしわ寄せは時に生徒に及びます。実際、組合の運動方針の影響で、50分が標準の中学校の授業時間が45分、場合によっては40分に短縮になっている例もあります。現実として。
テレビだって、民法ならコマーシャルが15分ごとに入っているでしょう。集中力というものは、そう長続きしないってことですよ、大人だって。子どもならなおさらじゃないですか。
―― 確かに、授業1コマの時間を短くするのは問題ありませんが、その分、年間全体のコマ数を増やすことが学校教育法施行規則に定められています。例えば中学の標準は50分授業を年間に980コマ行うことになっています。
「標準服」って言葉があるでしょう。標準なんですよ。幅があってもいいんですよ、教育の現場には。
―― 学校教育法を所管する文科省に聞けば、それは「下限」だと言っています。
今はね。(以前から)変えてきているんです、だんだんと。いいですよ、それで。
標準を下回ったら法律違反とかになるんですか
―― どれで?
文科(省)の考えで、いいですよ。でも、980コマに対してどれだけ短いんですか。500コマとか600コマとかではないでしょ。
―― 900コマに満たない例もあると聞きます。
でしょう。まあ、それでも1割だったら小さくはないか…。でも、標準を下回ったら法律違反とかになるんですか。
―― 公立学校の設置者であり、学校全体を管理する教育委員会が指導しているはず、と文科省は言います。一方で、教育委員会が、そもそも実態を正確に把握しているかどうか、という問題もあるようです。
でも、授業時間が短いからって、それで例えば(全国)学力テストの水準が低いわけではないでしょ。
―― 下位に位置します。
そう…。
愛国心を強制しないで
―― ところで、先ほど委員長がおっしゃるように、どうして日教組のイメージは良くないんでしょう。
不徳のいたすところです。それは冗談としても、カタカナで「ニッキョウソ」ってなると良くないよね、印象が。愛国心などを巡る過去の色んなことも無関係ではないかもしれない。
ただ、この愛国心を強制するなって言いたいですね。この組織だって、「日本教職員組合」と「日本」が付いているんですよ。しかし付いているからって、日本に固執することとは別だから。
―― 自分の国を大切に思うのは、よくないことですか?
なんで日本だけを愛さなきゃいけないの。今はグローバルな時代だって。日経新聞だって、いつもそう書いてるじゃない。そうした時代の中で、じゃあなぜ日本だけを大切にするの。大相撲で、朝青龍や把瑠都(バルト)は土俵に上がるな、ということ。
―― もちろん上がっていいと考える方が多いでしょう。がんばって、実績を残したわけですから。むしろ、彼らに勝てない不甲斐なさを感じ、「もっと、がんばれ」と応援する気持ちを持つ人がいてもおかしくない。
日本が大事だと言うなら、中国とか東南アジアなんかに日本企業は工場を作らずに、日本に作りなさいよ。理屈の上ではそうなってくる。
まあ、熱くなって私も気持ちの中に有ること無いこといろいろ言いましたが、「がんばれ」と思う人はまったく不自然ではない。おかしなのは、「強制」することなんですね。そこに危うさを感じるのです。
起立などの強制はおかしい
第二次世界大戦が終結して間もなく、GHQ(連合国軍総司令部)は、日本教育の民主化を目指して、教員組合の組織化を指示しました。結成に当たって我々は、戦前、戦中の教育の反省に立ち「教え子を再び戦場に送らない」を誓いの言葉としたのです。
国旗掲揚、国家斉唱にしても、「国旗国歌法」が制定されたわけですから、それに背く気もありません。ただ、起立などを強制することについて、私はおかしいと思いますね。
―― 戦後、長らく文部省(当時)とは対立路線を取ったが、村山富市政権下の1995年には“歴史的和解”が同省などとの間で実現しました。
かつての強硬路線はやめ、対話を重視することにしました。そう、開かれた日教組です。だからこそ今日もこうしてインタビューに答えさせてもらっているのです。あまり良くは書かれないだろうな、って思いつつもね。
―― お時間を頂いたのは、弊誌としてもちろんとても感謝いたしております。ただ、その“開かれた日教組”とは真逆に映ってしまうのが、傘下の北教組を舞台にした「政治とカネ」の問題です。民主党衆院議員の小林千代美陣営への違法献金に関与したとして、北教組幹部が逮捕、起訴されました。その原資とされるのが、管理・監督強化への反対運動のため組合にプールしてきた「主任手当」とも言われます。
時代錯誤の北教組
それはないでしょう。ただし、対外的な姿勢について言えば、北教組にも問題があったかなと思っています。(事件を受けて北教組は、政治資金規正法に違反する事実は一切なく)不当な組織弾圧と言わざるを得ない、との声明を出しました。
それを公表する前に、実のところ我々は北教組幹部に対して、「教育という2文字を冠する限り、疑われた段階で保護者などにはお詫びをすべきだ」と伝えていたのです。しかし、それが反映されることはありませんでした。
―― 反映されていれば、社会の見る目も変わるきっかけになりましたか。
勘弁してくれよって北教組には言いたいですよ。正直。「そこのけ、そこのけ、北教組が通る」とかって、もうそんな時代じゃないですよね。記者さんもそう思うでしょ。オープンな組織を目指していきますから、よく見ておいてくださいよ。
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