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日本社会党のキューバ詣で  赤松農林水産大臣

Akabaka1

http://www.maff.go.jp/j/press/kokusai/kokusei/100430.html

赤松農林水産大臣の海外出張について

赤松農林水産大臣は、関係閣僚とEPA・FTA等にかかる会談を行うため、メキシコ、キューバ、コロンビアに出張します。

平成22年4月30日(金曜日)      成田発
      メキシコシティ着
5月1日(土曜日)     メキシコ政府関係閣僚との会談
      遺伝子組換検査センター視察
2日(日曜日)     メキシコシティ発
      ハバナ着
3日(月曜日)     キューバ政府関係閣僚等との会談
4日(火曜日)     キューバ政府関係閣僚等との会談
      ハバナ発
      ボゴタ着
5日(水曜日)     コロンビア政府関係閣僚との会談
6日(木曜日)     ボゴタ発
8日(土曜日)     成田着



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100505/plc1005051516004-n1.htm

カストロ議長と会談、関係強化で一致 キューバ訪問の赤松農水相
2010.5.5 15:15

 キューバを訪問中の赤松広隆農水相は4日、ラウル・カストロ国家評議会議長と会談、キューバ国営メディアによると、両国関係を強化していくことで一致した。1959年のキューバ革命後、日本の現職閣僚がキューバを訪問するのは初めて。議長自らが会談に応じ、日本に対する厚遇を印象づけた。

 赤松農水相は2日からキューバを訪れ、3日にロサレスデルトロ閣僚評議会(内閣)副議長兼農相やロドリゲス外相らと会談。4日には政権ナンバー2のマチャド国家評議会第1副議長とも会談した。(共同)

TODAY1 ∞ 現役閣僚の時代に念願の革命国のカリスマに会っておきたかったんだろうと思う。
目的はカストロさんとのツーショット写真撮影

民主が潰れても、生涯の宝として額縁に入れて飾るんだろう。

小沢さんの中国詣でに対抗したかったのかも??

http://www.sinsyakai.or.jp/left/michishirobe/2009/koremade/090421.html

キューバ革命50周年
      
新社会党が代表団を派遣 へ
2009.4.21

今年は、キューバ革命勝利50年、日本との外交樹立 80年の年だ。新社会党は、栗原君子委員長を団長に2000年の初訪問以来、2回目の党代表団70人を送り、メーデーに参加し、キューバ共産党と会談を持 ち、社会政策各施設を視察するなど交流する。

      
      
      
       
日本との歴史的 関係
      
        最初にキューバを訪れた日本人は、伊達政宗の派遣した遣欧使節の支倉常長だった(1614年)。一行はハバナ港に上陸、2週間滞在して大西洋を越え、ス ペイン経由でローマに赴いた。
      
        近代の外交関係樹立は1928年、革命後は59年7月、エルネスト・ゲバラ工業相が日本を公式訪問し、62年に相互に常駐大使を置く関係となった。革命 後の工業化政策で最初に建設されたヒバラ市の製糸工場には、「イネジロー・アサヌマ」の名がついている。
      
      
       
キューバ革命の 位置
      
        美しい白砂のビーチ、山地や森林、行き届いた教育・医療制度、音楽・野球など文化・スポーツへの権利、国際主義的な医療援助、今日、報道が伝えるキュー バの姿である。しかし、社会成果の達成には並々ならぬ国民的な闘争がある。
      
        米政権による封鎖・社会主義圏の消滅というなかでの過去50年のキューバ国民の奮闘に続いて、ラテンアメリカ・カリブ海諸国では国民主権を掲げる民衆の 闘いが、次々と選挙で勝利した。
      
        4月には、反新自由主義を掲げ、ベネズエラとキューバが主導する「米州諸国民のボリーバル代案(ALBA)首脳会議」(14~15日)と、米主導の「米 州機構(OAS)首脳会議」(17~19日)という対抗的な会議が開かれ、このなかでオバマ政権の外交政策、とりわけ対キューバ政策が注目されている。
      
      
       
独立から社会主 義へ
      
       50年代の冷戦時代、米国は多国籍企業と 傀儡(かいらい)政権を使って軍事介入し、西半球の国々を支配した。諸国民の反米闘争は武力を伴った。
      
        キューバは米西戦争以来、1899年1月1日から60年間、米国の支配下に置かれた。53年、当時26歳のフィデル・カストロ率いる青年グループがモン カダ兵営を襲撃、失敗したが、「7・26運動」として反独裁闘争を全国で高揚させた。
      
        58年12月31日、敗北決定的と見たバティスタ大統領が辞任表明、翌日1月1日にドミニカへ逃亡する事態になった。キューバ革命はここに勝利した。
      
      
       
人間のトリデを 実証
      
        農地改革と国有化は米企業の利権を根幹から揺るがし、ケネディ政権が経済封鎖・軍事侵攻政策をとるなかで革命は明確に社会主義へと向かった。医師や技術 者は出国、非識字率30%、平均寿命59歳、産業の75%が米資本という低開発からの出発であった。
      
        キューバは、米ソ平和共存時代を生き、社会主義圏消滅後の「特別期」を克服、社会主義を掲げ続けている。そして現在、三大陸に数万人の医療チームや識字 班を送っている。
      
        先進工業国が未曾有の経済危機に襲われるなか、キューバは社会主義こそが雇用、社会保障、環境、人間の尊厳と平和を保障する体制であることを実証してい る。新社会党の代表団は4月27日出発、5月5日に帰国する。

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