映画 ザ・コーヴ 作ったのはシー・シェパード
今年6月26日から上映予定のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」が団体の抗議を受けて一部の映画館で上映中止となったことについて、ジャーナリストや映画監督ら55人が8日までに、反対の緊急アピールを発表し、配給会社や映画館に送付した。以下は私からの彼らに対する反論です。
テロリストの作った映画に表現の自由を認めてはならない。-毎年冬になると、南氷洋において日本の調査捕鯨船団に対し繰り返し妨害を行う自称・環境保護団体シーシェパード。日本の捕鯨船に酪酸の入ったビンを投げ入れたり、危険なレーザー光線の照射、捕鯨船のスクリューにロープを巻きつけようとしたり日本船を沈没させようとするなど、シーシェパードの行為は嫌がらせのレベルをはるかに超えた国際海洋法に違反する犯罪であり許しがたいテロ行為です。映画「ザ・コーヴ」は、この悪名高いテロ集団・シーシェパードがプロデュースした反捕鯨を標榜するプロパガンダ映画です。監督であるルイ・シホヨスおよび映画に登場する元イルカ調教師のリチャード・オバリーの2人は、元シーシェパード・メンバーであり、この映画の本当の企画・制作者は、シーシェパード代表のポール・ワトソンなのです。しかしながら、日本ではその事実があまり知られていないようです。さらには、「ザ・コーヴ」をプロモートする配給会社含め評論家も、シーシェパードの関与については、なぜか堅く口を閉ざしたままです。
「ザ・コーヴ」はシーシェパードが作った危険なトロイの木馬です。-ぜひ、シーシェパードのウェッブサイトwww.seashepherd.orgを覗いてみてください。英語のページには、03年9月、シーシェパードが「イルカ・キャンペーン」と称し和歌山県太地町のイルカ漁の網を切断する事件を起こしたことが明記され、メンバー2人が警察に23日間拘留されたとあります。その際、同行していたのが、当時シーシェパードのメンバーだったリチャード・オバリーです。一方、ルイ・シホヨスは、05年に「海洋保全協会」(Oceanic Preservation Society, OPS)という団体を設立、映画「ザ・コーヴ」はこの団体の提供とのクレジットが付されていますが、この「海洋保全協会」のウェッブサイトのパートナーズにシーシェパードへのリンクがあります。さらに決定的なことには、映画「ザ・コーヴ」制作の基礎を築いたのはシーシェパード自身であり、リチャード・オバリーが太地町に出入りするためにシーシェパードを辞め、この映画の計画を暖めた後の07年にルイ・シホヨスが監督になったとシーシェパード自ら明記しています。時間は若干遡りますが、04年9月、シーシェパードは当サイトを通じ、太地町でのイルカ漁の映像とスチール写真について償金付きの公募を行っています。ビデオ映像1分につき500ドル、写真1枚につき250ドル支払うとありました。映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリーかプロパガンダかといったことを議論する以前に、この映画自体、シーシェパードが日本にしかけた精神テロであり、「表現の自由」を声高に叫ぶ者たちを巧みに利用し、彼らにその綱を引かせ日本人の精神構造の中へと密かに入城させようとする危険な「トロイの木馬」なのです。
「ザ・コーヴ」は日本人に対する人種ハラスメント映画です。-あなたのご自宅から最も近い食肉加工センターをご存知ですか?ご存知でなければ、一度、ネットで検索をしてみてください。食肉加工センター、いわゆる「屠殺場」の一番はじめの工程において、毎日どんな作業が行われているか、ぜひ見学してみてください。(しかしながら、他の工程は見学できても、この工程だけはなかなか見学させてもらえませんが) その一番はじめの工程では、後足を縛られ天井から逆さ吊りにされた牛たちが、前足をバタバタとさせながら工程ラインを次々に流れてゆきます。このラインの中ほどで、職人たちが大きなナタで牛の首を切り裂いています。ナタが振られた瞬間、牛は断末魔の悲痛な叫び声をあげます。急所を外された牛は激痛のあまりモガいています。そして、本当に「涙」を流すのです。そんな場面において、もし仮に、牛を映していたカメラが職人のほうへ向けられ、その顔が大きくアップで捉えられたとしたら・・・。そんな映像、いったい誰が許すのでしょうか(怒)。「表現の自由?知る権利の侵害?ふざけるな!」と思いっきり大声で怒鳴りつけたい気持ちになります。「表現の自由」とか「知る権利の侵害」とかにこじつけて、なんとかして「ザ・コーヴ」の国内での上映を実現させたいとする連中は、いったい誰のお陰で毎日、朝昼晩、飯を食べることができるのか、分かっちゃいないのです。屠殺場において生き物を締めて殺す仕事、この神聖な仕事があってこそ、人間社会は成り立ってきました。ですから、日本のみならず、世界どこの国においても、この領域は「アンタッチャブルな領域」と呼ばれてきたのです。そんな「わきまえ」もなく、昼飯にカツ丼を食ったその口から、ゲップ混じりに「表現の自由だ」「知る権利の侵害だ」といった発言がでてくる映画作家やジャーナリスト。なんて知恵遅れの連中かと驚きます。
「ザ・コーヴ」は、そうした「アンタッチャブルな領域」に密かにカメラを持ち込み隠し撮りを行い、そして世界に公開しました。「ザ・コーヴ」のクライマックス、イルカ漁で真っ赤に染まった入り江、銛を何度もイルカに突き刺すシーン、日本人の形相・・・。アメリカやオーストラリアの屠殺場で、牛の首をナタで切り裂く仕事をやっている人の顔をアップで映画に使えると思いますか?当然、使えませんよね。でも「ザ・コーヴ」では、イルカを銛で突く日本人漁師を撮影し、躊躇なく世界に公開している。それらの映像の中に、映画スタッフが故意に漁師たちを何度も挑発し、キレた漁師がカメラに向かって怒鳴っている表情をここぞとばかり撮影し、彼らを「マフィア」とまで呼んでいます。本当に卑怯な映画だとは思いませんか?本来ならば、そうしたシーンは「人権」に十分に配慮すべきところですが、この映画には何らその形跡が見えない。それどころか、より憎々しく見せようとする意図さえうかがえます。つまり、この映画は、世界に向かって日本人に対する不当な偏見や憎悪を撒き散らそうとするプロパガンダ、すなわち「反日プロパガンダ映画」なのです。
白人至上主義の白人らは、対象が同じ白人であれば、その相手の人権を尊重しますが、いざ相手が日本人となると、どうやら何をしても許されると思う傾向があるようです。シーシェパードが日本の捕鯨船に向かって投げつける酪酸の入ったガラス瓶。その瓶が粉々になった実物を、私は、今年5月27日、30日の2回、東京地裁の傍聴席で見ました。元シーシェパードのメンバー、ピーター・ベスーンの裁判にてです。検察側が ビニールに入った瓶の欠片を掲げると、法廷の中に強い「糞尿」の悪臭が漂いました。この極めて強い悪臭を持つ液体は、いったん服に付着すると、洗剤で何度洗っても取れないそうです。検察はベスーン被告に問いました。「このようなものを人に向かって投げつけてもよいと思いますか?」 ベスーンは答えました。「酪酸は人体に無害と聞いています」と。こうした白人は、日本人のことを「自分と同じ人間」だとは思ってはいないようです。きわめて悲しいことですが。
なお、シーシェパードと映画「ザ:コーヴ」についての密接な関係を調査していただいたMr.Hさんと彼のお友達に深く感謝します。
Mr.Hさんお友達ブログ(在米) http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-227.html
※上記内容を両面印刷のチラシとしてご利用いただければと思い、pdfファイルを用意しました。大至急、拡散にご協力お願いします。 sea_shepherds_cove_revised0617(PDFファイル750KB)
追記 -2010年6月12日
6月9日(木)に創出版(代表・篠田博之氏)主催の映画「ザ・コーヴ」上映とシンポジウム(中野ゼロホール)に行ってきた。私が中野ゼロホールに到着したのが18時5分ほど前。開場は18時20分からにもかかわらず、すでに開場を待つ人たちの列が3つほどできており、しかも誘導の人がいないため、どこが最後尾かわからない状況だった。しかしながら、皆静かに列に並ぶ姿に、私は「ある種の秩序」を感じ、このシンポジウムにやってきた人たちのレベルの高さを感じた。この人たちだったら、理解していただけるだろう・・・私が持参したチラシの内容を、と思った。
早速、私は、開場を待つ人々の列にチラシを配り始めた。予め350枚用意したチラシは開場までの約20分間で、その配布をすべて終え、それでも足りなかったのでコンビにで30枚ほどコピーをした。主催者側によると、前売り券を持ってた方550人、キャンセル待ち約100人、合計650人だったので、約6割近くの人が、私が用意したチラシを受け取ってもらったことになる。皆さん、開場待ちで手持ち無沙汰ということもあってか、チラシをじっと読む方も多く、私のチラシに対する反論としての意思表示をされた方も3名(男性2名、女性1名)いた。開場後は、コンビ二でコピーしたチラシをメディアとシンポジウムのパネラーの方々を中心に配った。
私が会場の階段付近で、会場に走りこんでくるメディアの方々にチラシを配っているとこへ当シンポジウムの主催者・篠田博之氏がやってきてきて「あなたは主権回復の会員なのですか?」と訊ねてきた。「いいえ、会主催の街宣にはときどきは参加はしますが会員ではありません。そもそもあの会の会員が誰だか存じてませんが」と答えると、「チラシを配るのであれば、主催者側の了解をとるべきではないかと思うけど」と言うので、私はわざとポー(はあ?という感じ)ととぼけたフリをしていると、「まあ、それはあなたの表現の自由だから何も言えないけど、それにしても、このチラシの中の<表現の自由を認めてはならない>というのはやめてもらえないかなあ」と篠田氏。私は「シーシェパードというテロリスト集団が作ったプロパガンダ映画に表現の自由を認めてはならないと主張しているんですよ。ここ10年間のスローガンは<テロに屈しちゃいけない>でしょ?」、すると篠田氏は「シーシェパードが関与している話については、大体の事は知っているけど」と返したので、「ご存知であれば、この映画を紹介する際に、この映画とシーシェパードとの関係をきちんとインフォームするのがジャーナリストの責任じゃないのですか?それを晒したうえで、皆でこの映画について討論する。それでこそシンポジウムでは?」というと、シーシェパードの話題はあまりしたくないらしく、そそくさに去った。つまり、篠田氏はこの映画の急所を知っていながら、それを隠しているに過ぎないのである。彼は最初からジャーナリストとしての立場を放棄している。篠田氏はジャーナリストでもなんでもない、ただの映画「ザ・コーヴ」のプロモーター(販売促進係)として見ていたほうがよい。
その後すぐに、私の前に森達也氏がやってきた。「このチラシの、シーシェパードって本当なの?」と私に問うた。(何度かこの映画について発言してきた森氏が知らなかったというのがちょっと驚きだった)「本当ですよ。シーシェパード自身のホームページにそう書いてあります」と答えると、すると「ふーん、でもシーシェパードって、人種差別を目的にやっているわけじゃないでしょ。だってノルウェーの捕鯨船もシーシェパードに沈没させられてんだし・・・」と言った。私は『いったいシーシェパードの何時の時代の話をしているんだろう?シーシェパードがスペインやアイスランド、ノルウェーの船を標的にしていたのは80年代~90年代。この人はそのことを理解したうえで話をしているのだろうか?ひょっとして、かなりオメデタイ人じゃないだろうか』と思って、「ああ、そうですか」と笑いながら答えた。組織というのは「金」になるほうに転がっていく。シーシェパードのアニマル・プラネット(ケーブルテレビ)の「Whale Wars」は2008年11月に始まった。以来、アニマル・プラネットの目玉番組となった。その背景には「シーシェパードが戦っている相手は肌の色の違う東洋人」ってことがどこまでわかっているのだろうか?さらには、シーシェパードは、和歌山県太地町と姉妹都市関係にあるオーストラリア北西部のブルーム(Bloom)という人口1万5千人もの小さな町で、「ザ・コーヴ」の上映会を行い、日本人や太地町に憎悪を抱いたブルーム市民によって、日本人墓地(ブルームは明治期から真珠の町として、太地町出身の多くの日本人が潜水夫として移住してきた)において900基あった墓石のうち約200基がいたずらを受けたほか、町の議会において、太地町との姉妹都市提携・解消決議案も出された。つまり、シーシェパードが制作した「ザ・コーヴ」という映画は、シーシェパードの意図したとおり、日本人への不当な偏見や憎悪を煽ることに十分な効果を発揮していることを示しているのだ。もう一度ここで繰り返し言う。「ザ・コーヴ」は反日プロパガンダと断言して何ら問題ない。
そして最後に、鈴木邦男氏。この人とはシンポジウム終了後に一言だけ、私のほうから投げかけた。私はシンポジウム終了後のメディア関係がごった返えす舞台にあがって、鈴木氏に声をかけた。「鈴木さん! 鈴木さんは(映画を)一度見てから判断してくださいと言われましたが、その論理、もし仮に、私が新興宗教かマルチ商法の人間で『この宗教を非難する前に、一度でいいから集会か座談会に来てください』と言ったらどうします?来ていただけますか?宗教やマルチ商法に洗脳のメカニズムがあるように、プロパガンダにも洗脳のメカニズムがあるんですよ」と言うと、鈴木氏はムキになって「いや、違うね!」と一言だけ吐き捨てるように言った後、控えのほうへ急いで去っていった。この鈴木邦男という人、ある種の腐臭が漂う。
追記 -2010年6月14日
表現の自由とは何か?-「ザ・コーヴ」の上映を求める人たちが「表現の自由を守れ」という言葉を使っているが、私は彼らがこの言葉を使うたびに「プッ、なんとも薄っぺらな、安っぽい表現の自由だな」と思う。たった20人か30人ほどの草の根の市民団体、交通費も食事代も自前の完全ボランティア。その人たちが街角で「ザ・コーヴの上映中止を求める」街宣を行ったり、映画館に電話をかけ「上映を中止しろ!」と抗議を行った結果、映画館が彼らの圧力に屈して上映中止の決定を行った(?)。本当にお笑い草だ。な、なんだ、この表現の自由の軽さは、このチープさは!これが本当だとしたら、表現の自由を高く掲げてるわりには、あまりのへタレさに驚く。こうした連中は、北京の天安門広場でチベット国旗を手に持って「FREE TIBET!」と叫びながら50メートルをぜひ駆け抜けてきてほしい。その瞬間、きっと「表現の自由の尊さ」を感じることができることだろう。
「表現の自由」を弾圧するのは、公的な権力や巨大な権力・組織であり、20人か30人ほどの草の根の市民グループの抗議ではない。本当に「表現の自由」を弾圧するのは国家であり、そして都合の悪い「表現の自由」を圧殺するのがマスメディアである。そして、「表現の自由」を保障するのも、また公的な権力であり、草の根の市民グループにも当然ながら「表現の自由」が保障されているのだ。その吹けば飛ぶような市民グループに対し「右翼」「圧力団体」「無法者集団」などといった不当なレッテルを貼り、故意に彼らの姿を歪め、彼らの主張するところの「ザ・コーヴは、テロ集団・シーシェパードによってプロデュースされた反日プロパガンダ」という主張は、マスメディアにとって都合の悪い主張として必死に黙殺し、ただただ「表現の自由を妨害する分からずやの無法者たち」として描こうとする。実は、巨大権力・マスメディアこそが、現代日本における「表現の自由の真の敵」なのだ。
私は上映を中止した映画館に問いたい。いまの映画館には上映作品に対しての自らの信念はないのか?「どうしてもこの作品は素晴らしい。だからひとりでも多くの人たちにぜひこの映画を観ていただきたい」といった願望はないのか?いまの映画館は「小売り」としての作品に対する目利き・品定めの、いわゆる「プロの眼力」はないのか?私は正直に思う。抗議の電話を受けた映画館が、もう一度この映画よく観た結果、「ああ、やっぱりこの映画じゃあ、駄目だな。さっさと上映は中止にするか」と、映画館が自主的に判断したに過ぎないのだと。この映画、「プロの眼力」からすれば「およびでない」のだ。おそらく、この映画を高く評価しているのは森達也氏ぐらいだと思う(たぶんお金に困っているんだろう)。森達也氏の審美眼は、彼の作品を観れば一目瞭然、これまた「およびでない」のだ(笑)。
追記 -2010年6月17日
「イルカは頭がよい」というステレオタイプ-捕鯨論争には、たくさんの嘘やプロパガンダが充満している。世界中の人たち、そして多くの日本人たちがその嘘やプロパガンダによって、日本の捕鯨やイルカ漁、鯨やイルカの生態について間違った偽りの情報を刷り込まれ、事実とは違うステレオ・タイプを持っている。たとえば、多くの人々が信じていることに「鯨やイルカは非常に高い知能を持っている」というのがある。多くの人々は疑いもなく、このことをガチガチに信じ込んでしまっている。
本当にイルカってそんなに頭がよいのだろうか?ぜひ想像してみてほしい。もし本当に、イルカが知能の高い動物であれば、毎年秋になると、殺されると分かっている和歌山県太地町の海に戻ってくるわけがないだろうと考えるのは私だけだろうか?なるほど、よくよく考えてみれば、イルカというのは「よほど学習能力がない」動物だと気づく。(あまり他人の学習能力を非難することのできない私だが・・・)
私たちは、シーワールドでイルカの芸を観ることができるが、あれは調教師から芸を仕込まれたからであって、最初からシーワールドのイルカのように人間の命令どおりに芸ができる野生のイルカはいない。アシカやアザラシに調教師が芸を仕込むのと同様に野生のイルカも芸を仕込まなければ、シーワールドで客を喜ばすイルカにはならない。そうした、ごく当たり前に考えれば、自分が信じ込んでいたことが「真っ赤な嘘」であったことに気づくはずだ。それに気づけば、「イルカは知能が高い、賢い哺乳類だ。だからこそ、そんな哺乳類を殺してよいのか!」などといった憤りや凄惨なイメージにいままで繋がっていたことがわかってくる。「殺しちゃいけない」の前提となるところの「知能が高い」ことが条件からぬけ落ちてしまうと・・・イルカ漁に対する憤りや凄惨なイメージ、太地町の血に染まった海の光景もまた違ったものに思えてくる。つまり、あなたが「イルカはそれほど知能が高くない」と気づいた瞬間、あなたのイルカ漁に対する視点が変わるのである。
TAMAGAWABOAT
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