笹川の花会 相撲はヤクザの仕切る興行
東庄町ホームより 天保水滸伝
http://www.town.tohnosho.chiba.jp/003profile/c002/002.html
天保水滸伝 笹川の花会
http://maruho.world.coocan.jp/suikoden.htm
もうだいぶ昔に作ったページだが、杭などに・・は歌詞カードのミスプリで、正式には
水鶏どり (くいなどり)
そうだな・・・久しぶりに電車で行ってみようか!!
物語 笹川の花会の編を簡略したもの(私が)
天保水滸伝 笹川の花会
天保時代、利根川沿いの江戸へ行き交う船で賑わう笹川河岸で、笹川繁蔵という新進のやくざが一家を構え、下総一体に勢力を示しつつあった。 一方、九十 九里の飯岡には、飯岡助五郎という大親分がおり、お互いの勢力範囲が近接している所から、両者の間には、小競り合いが続き互いに反目しあっていた。
ある時、繁蔵は、天保8年の大飢饉に拠る農民らの困窮を見 るに見かね、天保13年7月27日、諏訪明神に相撲道の神様、日野見宿璽命の碑を建立することを名として、全国知名の親分衆に廻状を発して農民救済の為の花会(渡世人同士の博 打)を開くことを決意する。
大きな渡世人同志の博打には千両・二千両という大金が動き村の経済を潤すと共に、自分の貫禄と侠名を示す場ともなっていた。
すでにひとおおり、義理のある親分衆には、廻状(案内状)を渡してはあるものの、敵対関係にある、飯岡助五郎を呼ぶかどうかで迷ったが、どうせ案内しても 来ないだろうとタカをくくり、付き合いぐらいはしておこうと小南の正助に廻状を持たせる。
これを受けた飯岡は、「小生意気な繁蔵の顔も見たくない」と言って、一旦は断るが、飯岡の番頭、洲の崎の政吉が「親分とは度量も貫禄も違う格下の繁蔵 に、胸を貸してやればいいじゃあねえんですか?」と具申し、ひとまず政吉が親分代理で出かけることになる。
出かけるにしても、義理の金(ご祝儀)が必要となるが、腹を立てている助五郎は、どうせロクな親分衆しか集まらないだろうし、三両か五両が相場だろうと、 子分には五両しか持たせない。 しかし、これではいかに反目しているとは言え、義理を欠くと、政吉は自ら二十両を工面し、二十五両の義理として、子分二名 を引き連れて笹川の十一屋(賭博場となる料亭)に到着する。
さっそく帳場に挨拶を済ませ、義理を渡すが、案内はしたものの来ないと思っていた相手が来た為に、笹川方は驚く。そこへ主の繁蔵がやって来て、「この義 理は俺が預かっておこう」と、中身も確かめないまま懐へ収める。
それを見た政吉は、やはりこの花会、三両か五両が相場だった。繁蔵の野郎は二十五両の大金に目が眩み、懐へ入れやがった、なんて下衆な野郎だと腹を立て る。 やはり自分の助五郎親分の言うことは正しかった。
どうせロクな親分連中は来ては居まいと、十一屋の二階に上がるが、そこには年長、貫禄のある親分出合が40~50人控えていた。 政吉は日頃、尊敬 している伯父分にあたる松岸の半次などが末席に控えて居る事に驚き、こりゃあえらい人の集まりだと解って来る。
座るべき席が解らず迷っていたが、松岸の伯父が気をきかして挨拶をしてくれ、政吉は名だたる親分衆に挨拶に廻り、其々懇ろな言葉をかけてもらううちに、 気分は有頂天に達して いく。 ところが、上から数えて六番目、病み上がりなのか、不精にも挨拶を請けようとしない眼光鋭い親分が1人居た。 言葉を貰わず次に行く訳にはいか ず、政吉も周囲も気まずい雰囲気になってきた。 そこを見るに見かねた大前田の親分が、「長岡、今度の花会はいい仕事だ、飯岡の若ぇ者に声をかけてやって くれ」と助け舟を出す。
しぶしぶと顔を上げた、この親分こそ、泣く子も黙る国定忠治であった。 忠治は若い繁蔵が仕事をしようという大事な時に、なぜお前の親分、助五郎は来ね えんだと、親分衆の見守る中で政吉を厳しく責める。
政吉は思う「この人の言う事がほんとうだ、これだけの親分衆を集める繁蔵には貫禄がある、うちの親分が来てさえくれりゃあ、若けぇもんが恥をかかずに済 む」
ちょうどその時、笹川方が飯岡の祝儀を貼り出しに来たが、政吉はすでに貼り出されてある親分衆の祝儀の額を見て、冷や汗がタラタラと流れ落ちはじめる。
丸屋の忠吉 百両、同若者中として五十両、大前田の英五郎 百両と、百両、五十両という義理が多い。 飯岡側は親分子分で、はした金の二十五両、この金額を親分衆の目の前に晒されたら・・こりゃあ舌を噛んで死なね ばなるまいと覚悟を決める。 しかし、このまんま1人では死に切れない、どうせいつかは死ぬもの、 親分衆の面前で恥をかかされた上州の忠治の命を貰っていこうと腹をくくる。 とうとう飯岡の祝儀額が貼り出された。 政吉は恥ずかしさで頭が上らない。
すると、それを見た忠治が驚いて言った。「飯岡の若けぇの、俺が悪かった、この義理(金額)を見て飯岡のほんとの気持ちが判った、勘弁してくれ、さあニッ コリ笑って俺の盃を受けてくれ?」
馬鹿にされたと思った政吉は頭が上がらなかったが、不精無精頭をあげてその張り紙を見た時にハッとした。
飯岡助五郎より金五十両、同じく州の崎の政吉・飯岡若者中 五十両と書いてある。
それをじっと見つめながら、政吉は繁蔵を悪く思った自分を恥じて、二十五両を百両と書いてくれた繁蔵の義侠にほろりほろりと男泣き。 しかし、一世一代の 桧舞台、このまんま後ろへ下がる訳にはいかない、笹川すまねえ勘弁してくれと心の中で繁蔵には手を合わせ、「なにぉ、手前は上州の忠治か、しゃらくせえ、 てめえの盃はどうした」と忠治に正面から飛び掛かって行った。
ここまでが笹川の花会
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