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革マル

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101109-00000087-san-soci

岡崎氏 JR東労組・松崎氏は「革マル派」

産経新聞 11月9日(火)7時56分配信

 岡崎トミ子国家公安委員長は8日の衆院予算委員会で、JR東労組の松崎明・元委員長を左翼過激派、革マル派の最高幹部の一人と認識しているかと問われ、「幹部の一人であると思っている」と述べた。自民党の平沢勝栄氏への答弁。ただ、岡崎氏はその後「革マル派創設時の幹部の一人である」と答弁を修正した。

 平沢氏は「松崎氏の運転手をしていた側近中の側近が、民主党参院議員の田城郁さんだ。ご存じか」とも質問。岡崎氏は「個人の情報に関することなので、コメントは差し控えたい」と述べた。

松崎 明(まつざき あきら、1936年 - )は国鉄動力車労働組合元委員長、JR総連JR東労組顧問。埼玉県出身、埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。元革命的労働者協会活動家の松崎重利は実父が同様に国鉄職員で姓が同じため血縁関係にあると誤解されることがあるが血縁関係及び政治活動面では無関係である。

黒田寛一から厚い信頼を受けており、革マル派結成時の副議長(組織名:倉川篤、愛称:クラさん)であったことは松崎本人も認めている(松崎明『松崎明秘録』同時代社)。1970年代から次第に革マル派から離れ、現在では関係は切れていると松崎は言うが、その思想と行動こそ革マル派の手法とされている。動労ではカリスマ的な指導力で、闘争を高揚させて国鉄労働運動、ひいては総評労働運動をリードしてきた。その頂点が1972年のマル生反対闘争であり、国鉄総裁が国会で陳謝して勝利解決した。その闘いから「鬼の動労」と呼ばれるようになる。

しかし、共産党系活動家排除を目的として1974年に全動労が分裂し、中核派活動家排除を目的に1979年には動労千葉が分裂。これらの動きにより中核派との抗争が激化し、松崎個人に対して宣戦布告とも言える「カクマル松崎せん滅」のスローガンを突きつけられることになる。また、右翼団体からも言動・思想で対立軸になっている為批判をされているが、一水会鈴木邦男とは反権力・反公安で親交がある。

1975年のスト権ストの敗北以降、春闘でのストライキはあったものの、国鉄分割民営化に おいては激しく闘うことはなく、組合員の雇用を守るため、民営化に協力している。その際、過去の闘争を否定し、国鉄幹部や自民党議員との会談において「私 は犯罪者でした」と語るなど「転向」した(いわゆるコペ転)。JR以降の思想と行動は東日本会社との蜜月関係である「労使協調」を除けば、反戦運動を闘争 方針に掲げたり、月刊誌「自然と人間」では過去の動労の闘争を再評価するなど、「動労に先祖返りした」と言われる所以である。

2007年11月30日、警視庁公安部は、松崎をJR総連の内部組織「国際交流推進委員会」の基金口座から3000万円を引き出し横領した業務上横領容疑で書類送検した。直後に松崎はハワイ高級住宅地に ある別荘を3千数百万円で購入。この購入資金は同協会職員の個人口座を通じてハワイの不動産会社に送金されており、公安部は横領した金が充てられた疑いが あるとみた。松崎は「妻名義の土地を売却して得た資金なども口座に入っており、私的流用はしていない」と容疑を否定。JR総連も「横領された事実はない」 とした。2007年12月28日、東京地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。

2010年、かつての宿敵・中野洋(元動労千葉委員長)の逝去にあたり、『われらのインター』31号(2010.4.15)に追悼文を発表し、「革共同が分裂し、私は革マル派、彼は中核派のメンバーとなった。党派の対立の中で袂を分かつことになった。・・・共に闘い抜きたかったが、路線の違いは致し方ない。しっかりと目を見開いたままの戦闘態勢を堅持した中野洋さん、心から称え、冥福を祈ります」と記した。



  • 1954年国鉄入社試験に合格したが自宅待機。日本民主青年同盟(民青)に加入。
  • 1955年、臨時雇用員として松戸電車区に配属。日本共産党に入党。
  • 1956年、国鉄職員となり、尾久機関区に配属。機関車労働組合(後の国鉄動力車労働組合、動労)加入。
  • 1957年黒田寛一と出会う。
  • 1958年革命的共産主義者同盟に加入。
  • 1959年、共産党を離党。
  • 1961年、動労青年部を結成、初代青年部長に就任。
  • 1963年、動労尾久支部長に就任。革命的共産主義者同盟が分裂し、黒田寛一率いる革マル派につき副議長に就任。動労青年部長引退。尾久・田端統合反対闘争で逮捕され、国鉄を解雇される。
  • 1969年、東京地方本部書記長に就任。
  • 1973年、東京地方本部委員長に就任。
  • 1985年、動労中央本部委員長に就任。
  • 1987年、鉄道労連(後のJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長に就任。
  • 1995年、JR東労組会長に就任。
  • 2001年、JR東労組会長を退任、顧問となる。
  • 2003年、すべての組合役職を退職。
  • 2007年、業務上横領容疑で家宅捜索を受ける。
  • 2007年11月30日 業務上横領容疑で警視庁が書類送検 ※一部のマスコミはJR東日本労組元会長などの匿名表記で報道した
  • 2007年12月28日 不起訴処分となる
  • 2008年1月29日 不当捜査による精神的苦痛・社会的信用失墜を理由に、東京都や国に損害賠償を求める訴えを起こす

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