よろこんで庄や 五井店
| 固定リンク
| トラックバック (0)
うつ病社員 休職中に大型バイク免許取得しツーリング楽しむ
http://news.livedoor.com/article/detail/6807264/
就業中はうつで仕事がろくにできないのに、会社を一歩出た途端に元気になる――今、こんな「新型うつ病」が職場で急増しているという。新型うつをめぐる会社側と社員の攻防がある。
機械メーカーの研究開発部に勤める50代の男性上司は、大学院卒の30代の男性部下Aに手を焼いていた。
「この仕事を今日中にやってくれと頼んでも、いつも『他にも仕事を抱えているからできません』とか『設計と数ミリずれているから今日中は無理です』と返ってくる。『こういう仕事は納期が大事。同時進行でいくつも案件を抱えるのが普通で、誰もがやっている』と諭しても、『できません』の一点張りでした」(上司)
やがてAは会社を休みがちになった。はじめは発熱や体調不良を理由にして1日休んでまた4~5日出勤するというパターンだったが、そのうち1日おきに休むようになった。
さすがにおかしいと感じた上司が電話を入れ、「体調管理も仕事のうちだ。きちんと栄養をとって風邪をひかぬようにしなさい」と諭した。
するとその電話から1週間ほど経ったある日、うつ病の診断書を持って現われた。「どうだと言わんばかりの勝ち誇った表情で、とてもうつ病には見えないんです。しかし、診断書がある以上、休職を認めざるをえない」(上司)
休職中も一応心配して連絡を取り続けたが、そのうち携帯に電話しても出なくなった。自宅に電話するとAの兄が出て「バイクでツーリングに出かけた」と言う。Bは休職中に大型バイクの免許を取っていたのだ。
「Aの兄に話を聞くと、彼もうつ病には懐疑的で、休職手当をもらいながら遊び歩いている弟を叱ったそうです。ところが、『兄貴は会社側の人間かよ。僕に合った仕事をさせない上司が悪いのに』『僕は被害者なんだから、休職手当をもらって当然。労働者としての権利を行使しているだけだ』と逆ギレして歯向かったそうです」(上司)
その後、Aはバイクで事故を起こして入院し、そのまま会社も退職した。兄の話では、Bはその後もしばらく仕事をせずに遊んでいたが、貯金が底をつくと「もう大丈夫、治った」と言って就職活動を始め、某シンクタンクに再就職したそうだ。
※SAPIO2012年8月1・8日号
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://www.rurubu.com/season/summer/hanabi/detail.aspx?SozaiNo=120801
だいぶ前だが、たまたま船橋の西武に屋上庭園みたいなのがあって、そこから一人で見た記憶があるが、人がいっぱいながらも、高く上がった花火は良く見えたような気がする。
ビール飲んでたんで、はっきりした記憶ではないが・・
そんでタトゥイーンで飲んでた時も、偶然常連客の会話で「きょうは花火大会だから客が少くない・・・」みたいな会話も聞かれたような??
きょうはバレエか?独りで花火か?
| 固定リンク
| トラックバック (0)
いまどきのおしゃれな文化人になるためにはどうすればいいのだろうか。若いときに電気をふんだんに使ったコンサートをやって人気者になり、ニューヨークの高級マンションに住む。もちろん税金は大好きな米国に払って日本には払わない。
▼菜食主義を一度は試し、電気自動車のコマーシャルに出る。還暦を過ぎれば流行の「反原発デモ」の先頭に立って、アジ演説をぶって拍手喝采される。目立ちたいのは文化人の業だが、もう少し本業に専念しては、と望むのは古くからのファンのないものねだりだ。
▼いままで書いてきたのは架空の人物の話。ただ、ミュージシャンの坂本龍一さん(60)が、16日に17万人集まったと称する(実際は7万5千人程度だったが)反原発集会での演説は、おしゃれな文化人そのものだった。
▼彼は、「たかが電気のために、この美しい日本の未来である子供の命を危険にさらすべきではない」とのたまった。確かに、たかが電気である。命には代えられない、と思わずうなずきたくなる甘いささやきではあるが、「たかが電気」がどれだけ多くの命を救ってきたことか。
▼東日本大震災でも17年前の阪神大震災でも真っ暗だった被災地に明かりが蘇(よみがえ)ったとき、どれだけの人々が感涙にむせんだことか。大震災直後の昨年春、たかが数時間の計画停電で、病院に影響が及び、どれだけの病人が困ったかを坂本教授は知らないのだろう。
▼昨日の首相官邸周辺でのデモには鳩山由紀夫元首相も参加した。原発への恐怖心を利用して騒ぎを大きくしようと画策する左翼団体や金持ち文化人、それに選挙目当ての政治屋どもに踊らされていることに参加者はそろそろ気付かれた方がいい。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
増穂商野球部で暴行 クワガタに鼻を…
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20120719-985982.html
山梨県富士川町の県立増穂商業高校野球部で、2年生部員が1年生部員を蹴るなどの暴行をしていたことが19日、同校への取材で分かった。県高野連に報告し、野球部は活動を自粛している。
同校によると、4月から7月にかけて、2年生4人が1年生13人に対し、部室で「練習態度が悪い」と注意しながら蹴ったり、バットで尻をたたいたりする暴行をしていた。クワガタに鼻を挟ませる行為もあったという。けがはなかった。
7月6日に実施したいじめの有無を調べる全校生徒対象の定期的なアンケートで、暴行をほのめかす回答があり、部員全員に聞き取り調査した。
野球部は7日、全国高校野球選手権山梨大会1回戦で敗退。暴行した4人は自宅謹慎中という。
TODAY1 ∞ 便乗記事というか、なんだか笑ってしまうが、かわいいもんじゃねーか‘‘ってのが普通だろうな・・穴バットとは懐かしい響き
それより今朝のニッポン放送で、「いじめ」とひらがなで書くと、なんとなくやんわりと感じてしまう・・みたいな事言ってたが、いったい感じではどう書くんだろう??と思って変換すれば
苛め 虐め
うーん確かに漢字のほうが思い漢字・・じゃなくて感じ。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://www.news-postseven.com/archives/20120718_129962.html
17万人反原発デモに同窓会のウキウキ感 女性作家が現場ルポ
灼熱の東京で17万人が集った反原発デモ。現場を訪れた作家・山下柚実氏の目にはどう映ったか。
* * *
東京はカンカン照りの炎天下。山の手線を降りた時すでに、JR原宿駅は異様な雰囲気。「危険なのでゆっくり進んでください!」と駅員が叫ぶ。階段やエスカレーター、通路など駅の構内に、人が詰まって動かない状態。
やっと改札を出ると、無数の人が流れのように連なり、代々木公園へとなだれ込んでいました。
7月16日、代々木公園「さようなら原発10万人集会」と銘打った集会。作家・大江健三郎氏や瀬戸内寂聴氏、音楽家・坂本龍一氏が「10万人目指して集まろう」と呼びかけた。
現場へ足を運ぶと、見たこともない人の群れ群れ、群れ。午後2時、「目指していた10万人をゆうに超え、17万人が集まっています」というアナウンスが響く。最初は数千人だった首相官邸前の脱原発のアピールが、週ごとに膨らんでいき、あっという間に17万人に。
一つの主張の呼びかけに応えて、17万もの人が集まり行動する。このところの日本では聞いたことの無い出来事です。
見渡すと、政治スローガンを連呼する人からドレッドへア、ロックバンド風、赤ちゃん連れまで、ファッションもスタイルも実にさまざま。家族、若い男女のカップル、一人で来たおばあさんと、年齢層は多岐に亘っていました。
現場に足を運んで、ある現象に気付きました。
中高年男性たちのニコニコした顔、実にいきいきとした表情です。なんだかクラス会、同窓会にむかう時のウキウキ感すら伝わってくる元気ぶり。いろいろな市民や地域グループの旗に混ざって、「明大全共闘」「芝浦工大全共闘」「日大全共闘」などの旗も。1968~1970年代に盛り上がった全共闘運動、その古い友と再会し、懐かしき経験を共有する喜びに溢れている人々の環のように見えました。
世は空前の「同窓会ブーム」です。背景にFacebookやmixiといったデジタルツールがある。昔の友達と再会するチャンスががぜん増えた。しかしもしかしたら、デジタルツールによる再会とはまた別次元で、脱原発デモが「同窓会の火付け役」そのものになっているのかもしれない。
単に顔を合わせて話をするだけの同窓会を超えて、「デモ」という、青春時代に共有した行動をあらためて再体験し心も体も活性化。認知症予防や生き甲斐を提供する、優れた「回想療法」としても、デモが機能しているのかもしれません。
昨今の同窓会は、年々参加者が増えていくのが特徴です。なんと言っても人は「懐かしさ」に強く引き寄せられる動物。加えて、「原発やめよう」という新たな課題が掲げられているのだとすれば……今後も人数が増殖していくことはあっても、減ることはなさそうです。
野田首相は気付いているでしょうか?
「時間が過ぎれば人数も減る」「熱しやすく冷めやすい」などとタカを括って脱原発の声を「騒音」だと思っていると、足下を揺るがされかねないことを。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/5193/1/fuchukiyo51p.125-133.pdf
かわいそうな事件なのだが、幕切れの気配がないのはなんだろな??と思ったが、どうやらハングルがかかわっている????ことで静まらない・・・とも見れるかも?
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/special/2012070900007.html
【Journalism】7月号より 「橋下現象」をどう報ずるか
「世の中が見えていたのは橋下氏」朝日新聞大阪社会部デスクの嘆き
最近、夕方が近づくと憂鬱が襲ってくる。原因は、大阪の「お客様オフィス」から全デスクのもとに送られてくる、読者の電話やメールをまとめたリポート。
「朝日は橋下の宣伝機関か」
「維新の会の話を垂れ流すのはいいかげんやめろ」
「もう購読を辞めさせていただく」
ああ、またか、と思う。
橋下氏のことを紙面で取り上げるたびにこうした反響がいくつも届くことを、もう何カ月繰り返しているのだろう。
もちろん苦情とはいえ、貴重な読者の声。一瞬ムッとしたとしても、ちょいと深呼吸して冷静にとらえればよいのだ。正面から受け止め、今後の紙面づくりに生かしていく大事なきっかけにしていけばよいのだ。
■同じ記事に寄せられる真逆の反応
記者会見する橋下徹・大阪市長=2012年7月5日午前9時58分、大阪市北区、伊藤進之介撮影
だが、コトはそれほど簡単ではないのである。
橋下氏をウオッチしている大阪社会部は当然のことながら、橋下氏を宣伝しようと記事を書いているわけではない。原則は中立だし、もちろん、氏の発言に危惧を感じて記事化することも多い。それでもこの反響なのだ。
さらに事態を複雑にしているのが、同じ記事に対して寄せられる真逆の反応の存在。少しでも橋下氏の問題点を指摘すると、「なぜ橋下さんの足を引っ張るのか」「偏向報道の極み。許せない」という声が、これまた複数寄せられるのである。
要するに、身を粉にして橋下氏のことをがんばって書けば書くほど、苦労して取った特ダネであれ、工夫をこらした独自ダネであれ、地道な橋下ウオッチの結果であれ、いずれも読者の怒りを買い「新聞の購読をやめます」とまで言わしめてしまうのである。わざわざ電話してきて下さるのはごく一部の読者であることを考えれば、どれだけ多くの人が無言で新聞の購読をやめているのかと想像し、背筋が寒くなる。気力が落ち込むのをどうすることもできない。
新聞が売れない時代、これがどれほど大きなことか!
さぼった結果なら努力すればよい。でも、しつこいようだが「努力した結果」なのである。一体どうしろというのか。
いま朝日新聞では、橋下人気が国政に影響を及ぼし始めていることもあり、橋下氏に関する記事を全国で掲載していくことを紙面の「ウリ」にしようという機運がある。大阪発の記事が東京で掲載されるハードルの高さを思えば、大阪のデスクにとってはまことにラッキーな機運であり、ありがたいことである。
だがしかし、正直、とてもじゃないが諸手を挙げて喜ぶことはできない。前述の現象が示しているのは、橋下氏はそんなに甘い存在ではないどころか、諸先輩たちがつないできた新聞の歴史にピリオドを打ちかねない人物ということだ。生きるか死ぬかの闘い―おおげさではなく、日々そう思い知らされている。
このリポートは、悩みに悩みながら橋下氏の記事を発信している現場デスクのつぶやきである。
■四面楚歌のなか涙を流す場面も
まず、私がどのような立場で橋下氏に関する記事とかかわってきたかを簡単に説明しておきたい。
橋下氏が2008年に大阪府知事選を制したとき、私は大阪の地域面の編集長だった。思えば当時の橋下サンは愛らしい存在だったなあ! 当選直後から聖域なき財政再建を打ち出し、文化施設や私学への助成金、市町村への補助金など誰も踏み込まなかった支出の大幅見直しを主張して物議をかもしていたが、議会や庁内に味方は少なく、物事は一筋縄では動かなかった。市町村長との会合では、四面楚歌のなか感極まって涙を流す場面すらあったのである。いま思えば100年くらい前のことのようだ。
個人的には、橋下氏が繰り出す政策にすべて賛成できるわけではなかったが、そのやる気と発想力には尋常でないものを感じていた。何より橋下氏の打ち出す主張は、これまでマスコミが「なあなあ」で済ませてきた根源的な問題への問いかけを含んでおり、決して無視できないものだった。
たとえば「収入の範囲で予算を組む」というまっとうな原則を掲げて補助金をカットしていく氏の施策を記事にするには、果たして何が問題なのかを一から考えなければならなかった。
これまでの新聞は、「お上」という権力を絶対悪とみなし、権力側がすすめる施策でほんろうされる「庶民」の声を代弁していればよかった。だがこれは、「お上」が既得権者と結びつき相も変わらぬ横暴を繰り返すという方程式が成立する場合にのみ有効な手段であった。
橋下氏はそんな方程式には当てはまらない政治家だった。行動を決するのは自らの考える「正義」であり、その「正義」に反する既得権者を容赦なく切っていく。そんな氏と対峙するには、記事を書く側にも自らの「正義」をみつめなおす必要があった。氏が言うとおり自治体にはカネがないのだ。そのうえで、切っていいものは何か、切っていけないものは何か。
正直申し上げて、こんなことをまじめに考えたのは初めてである。ウンウンうなって浮かんできたのは、行政には、民間には果たせない「ほんとうの役割」があるのではないか、ということだ。
採算性を理由に切る、切らないを決めるのは民間の考え方。採算は合わなくても必要なことを担うのが行政なのではないか。その「必要なこと」を見極めれば、橋下流コストカットの是非を論じることができるのではないか。
地方自治に詳しい編集委員に相談し、行革に取り組んだ全国の首長経験者を訪ねて橋下氏の施策を評価してもらうシリーズ「拝啓、橋下知事 これが行革だ!」を書いてもらった(紙面1)。当選直後でアイデアに飢えているであろう知事にも読んでもらい、実際の施策に生かしてもらえれば一石二鳥ともくろんだ。
紙面1 首長経験者が橋下氏の施策を評価した、シリーズ「拝啓、橋下知事 これが行革だ!」(朝日新聞2008年3月27日付朝刊・大阪市内版)
狙いは当たったように思う。記事を通じて私も考え方のヒントを得ることができたし、知事も熱心に読んだようで、掲載後に編集委員のインタビューに応じてくれた。気分のいい仕事だった。今思えばなんと牧歌的な時代だったことか。
転機となったのは、11年の統一地方選挙だったと思う。
橋下氏は、膠着状態にあった府市再編問題を動かそうと、地域政党「大阪維新の会」を立ち上げた。橋下人気に後押しされ会所属の候補が続々と当選。大阪府議会では過半数を制するに至った。
選挙直後、維新の会が、君が代の起立斉唱を教職員に義務づける全国初の「君が代条例案」を議員提案することを朝日が特報する。
当時、私は大阪社会・地域報道部のデスクに異動し、教育担当を命じられたばかり。正直、驚いた。橋下さんってこういうイデオロギーにかかわる施策を打ち出す人物だったのか。選挙戦では君が代の「き」の字も出た記憶はなかった。これが氏の地金なのか。いずれにせよ「リベラル」「反戦」「護憲」の朝日新聞としては見過ごせない問題だった。
■時代から取り残されたアナクロな朝日新聞?
さてどうしたものか。担当記者と顔を見合わせてため息をついた。
君が代強制は降ってわいた話題ではない。国旗・国家法が制定された後は各地で強制が進み、折に触れ記事化されていた。だが記事はややもすれば教職員組合や護憲派の学者に強制反対を代弁してもらうパターンになり、どうみても読者の心を揺さぶっている気がしなかった。まして「公務員なら決まりを守れ」と平易な論理で押してくる知事に、大所高所から正論をふりかざすだけではなんとも弱い。どうすればいいのか……。
画期的アイデアが降りてくるのを待ったが、もちろん降りてこなかった。不起立教員ではなく、ちゃんと起立している先生の違和感に焦点を当てるとか、そもそもなぜ不起立教員がいるのかを一から戦争体験者に聞くとか。かっこ悪くても、せめて取材者側の必死さが伝わればと願いながらぽつぽつと記事を発信するのがせいいっぱい。
さえない日々の中、あることを思いつく。条例制定は「府民の総意」と繰り返す橋下氏に、争点になったわけでもない君が代強制がホントに府民の総意なのか突きつけようと思ったのだ。維新の会に投票した人は既得権に切り込む橋下氏の改革力に期待したのであって、君が代強制に期待したのではないはずだ。
記者が街に出て、維新の会に投票した人を探し条例への是非を聞いて回った。我ながらなかなかのアイデアだ。
結果は思ってもみないものだった。
30人中26人が「君が代条例に賛成」。当たり前のルールを守れない人が先生をしていること自体おかしいという。
ショックだった。正直、6~7割が「反対」と答えると思っていた。良心的な日本人にとって、国内外に大きな犠牲をもたらした戦争の記憶とつながる国旗・国歌の強制は根源的に受け入れられないものと信じていた。その人たちこそ朝日新聞の読者だと思っていた。
だがそんな人たちは、もはや1割しかいないのだ。良心的な世論をリードしているつもりが、振り返ってみたら誰もいなかったのである。私が想定していた読者像は、自分たちに都合のいい甘いものだった。本当に想定しなくてはいけない読者は、朝日新聞的リベラルな主張を、ウソっぽい、あるいは嫌いだと感じている、世の中の9割の人たちだった。世の中が見えていたのは朝日新聞ではなく、橋下氏のほうであった。
手応えを感じられぬまま、維新の会が過半数を制する大阪府議会でアッサリと君が代条例は可決される。
それにしても、君が代条例の報道は朝日新聞の「独走」であった。「勝った」という意味ではない。他社は一連の経過は報じたものの、その問題性を報じることには無関心にすらみえた。
もしかすると、条例反対にこだわった朝日は時代から完全に取り残されたアナクロな存在なのかもしれない。書けば書くほど読者を失ったのかもしれない。
どちらが正解だったのか。マスコミの役割とは何なのか。
橋下氏は知事を辞任しダブル選をしかける意向を表明。選挙前の2011年夏、維新の会は再び驚くべきものを出してきた。大阪府教育基本条例案。一読して、これは大変なものが出てきたと思った。
■戦後民主主義への正面からの挑戦状
君が代条例が一本の木を倒すチェーンソーなら、教育基本条例はすべてをなぎ倒すブルドーザーだ。
条例案はA4サイズの紙で約30ページに及ぶ。大きな特徴は二つ。
一つは、戦後教育の根幹である教育委員会制度を真っ向から否定したことだ。条例案は「知事は学校が実現すべき教育目標を設定する」とし、続く条項で、教育委員も学校も校長も教員も、目標に向け職務を果たすよう求める。政治と教育が一体化した戦前の反省から、政治家が直接教育に口出しできないようにした教育委員会制度を根底から覆す内容だった。
もう一つは厳しい成果主義。結果を出せなければ、教育委員も校長も教員も、最悪の場合クビになる。学校も保護者の選択にさらし、生徒を集められなければ生き残れない。
何のためにここまでするのだろう。
条例案の前文によると、グローバル社会に対応できる人材を育成するため、過去の教育から決別し時宜にかなった教育内容を実現するのだという。
うーん……。
もしヒットラーのような人が首長になり、排他的・暴力的な教育目標を立てたらどうなるのか。戦前の軍国主義教育で多くの若者が一つの思想にそめられ戦争へ駆り出されたことを思えば、条例は朝日新聞が守り育ててきた戦後民主主義に対する正面からの挑戦状である。
とはいえ、維新の会の主張にももっともなところがあった。教育委員会制度は理念は立派だが、現実は、地元の名士が月1回程度の会議で事務局の報告を受け、ちょこちょこ意見を述べておしまい。政治的中立どころか「放談会」と化しているところがほとんどだった。それを守れと主張するのはいかにも弱い。ここまで形骸化したことを放置してきた自らの怠慢を恥じたがもう遅い。
ああ、何をどこからどうしたらいいんだ! 勝ち目のない戦いから逃げられなかった硫黄島の将軍の気持ちだよ……なんてぐずぐず言っている暇はない。教育班のメンバーと知恵を出し合った。
確認したのは大きく二つ。一つは、まずは何はともあれこの条例案が何なのかを読み解き、伝え、読者に興味を持ってもらうこと。賛成、反対、様々な立場の人の意見を聞きまくって載せていこう。
もう一つは、現場取材を強みにすること。君が代条例のときと同様、識者コメントに頼るだけでは限界なのは目に見えていた。条例ができたら大阪の学校は何を得て何を失うのか。実際に日々格闘する人の言葉が最も説得力を持つはずだ。取材こそ新聞社の強み。当たり前のことだが、追い込まれて改めて原点に立ち返ろうと確認したのだ。
ぽつぽつと発信した記事のなかで最も反響があったのが、条例案を起草した維新の会市議へのインタビューだった。
これは予想外だった。取材の動機は、条例のめざすものがいまいちつかめないので、いっそ書いた当事者に聞くしかない! という単純なもの。「格差を肯定してもエリート輩出をめざす」という答えはあからさまでおもしろかったが、有名人でもないし地味すぎると思った。当初は社会面の掲載を躊躇したほどだ。
だがふたを開けると、有名な論客のインタビューより圧倒的に反響が大きく、「やはりあの条例案は問題がある」という意見がたくさん返ってきた。教職員のあいだで回し読みされたとも聞いた。掲載直後、橋下氏は「維新の会はメッセージの出し方がヘタ」と発言。氏を記事で焦らせたのは初めてだった。
大阪府の教育委員が「条例案が通れば総辞職」と表明したこともあり、テレビの情報番組でも条例案の問題点が批判的に取り上げられ始めた。よしよし、いい流れになってきたぞ……。
甘かった。
条例案の賛否を聞いた選挙前の世論調査の結果は、賛成48%。反対26%。「わからない」ではなく「賛成」ですよ。いったいなぜ、どこに賛成なのか。ショックを受けている間に選挙戦となる。知事・市長選を維新の会が制した。圧勝であった。
■長崎市をルポし、米国へ記者を派遣
ダブル選後、連日の「ぶら下がり会見」で知事と市長が繰り出す情報の洪水に、連日、各紙のトップ記事に橋下氏の主張が掲載され始める。それとともに「朝日は橋下の宣伝機関か」という読者の苦言が増え始めていた。
そうは言われても、氏の発言を無視することはできなかった。維新の会はダブル選で大阪府市の首長の座をとったうえ、府議会では過半数を占め、市議会でも他党との距離を急速に縮めつつあった。氏が施策を打ち出せば実現する確率が飛躍的に高まったのである。それを思えば、たとえ思いつきレベルのものであっても発言は重要であった。
だが毎朝夕尽きることなく記者の質問に答え続ける氏は次々と刺激的な発言を繰り返す。発言に耳をすまし、他社がどう書いてくるかに神経をとがらせていると、吟味したり批判的に検証したりする余裕はどんどんなくなっていく。
教育班にとっても、ダブル選後にどう記事を書いていくのかは頭の痛い問題だった。選挙で橋下氏らに投票した全員が氏の教育施策に賛成しているわけではないと思う。漠然とした期待で投票した人も、別の施策に期待して投票した人もいるはずだ。とはいえ、氏の教育施策に大きな危機感を抱いていたなら投票しなかっただろう。賛成とはいえないまでも大反対ではない、もちろん大賛成という人もいる……そんな人たちに向かって、氏の教育施策を批判し続けるだけでは反感を買うだけではないか。
教育班が再びアタマを付き合わせた。結論は、「条例案が成立するまでは問題点を指摘し続ける」。条例案に賛成の人が多いとしても、中身をきちんと知ったうえで賛成なのか。なんとなく賛成という人も多いのではないか。負け惜しみにも思えたが、とにかく記者たちは再び街へ散った。道行く人に教育基本条例案の中身をどのくらい知っているか、道ばたでインタビューを繰り返した。
すると、30人のうち約半数が「条例案のことはよく知らない」。知っていると言った人も「中学校で給食を出すやつ」など3人が勘違い(我々が選挙前に書いてきた条例の記事は全然読まれてなかったということですね。フクザツ)。全員に条例案の骨子を説明したうえで改めて賛否を尋ねると、賛否は大きく分かれた。やっぱり! 書かねばならないことはまだあるのだ。
是非を問うインタビューを改めて連載。学校を保護者の選択にさらす学校選択制廃止を打ち出した長崎市をルポ(紙面2)し、成果主義が行き詰まったアメリカへも記者を派遣した。いずれも現場の声を基にした説得力のある記事が発信できたと自負しているが、思うような反響が返ってきたわけではない。条例に反対の先生たちは「よく書いてくれた」と言ってくれる。だが読者からは「橋下さんを否定するような記事はおかしい」「結論ありきの記事はやめろ」「偏向朝日」という批判が寄せられた。と思えばなぜか「朝日はなぜ橋下の批判をしないのか」というお叱りも受けるのだった。
時代は明らかに橋下氏の味方だった。何をどう書いたら読者に届くのか、どんどん見えなくなっていった。
紙面2 学校選択制を廃止することにした長崎市を取材した記事(朝日新聞2011年12月22日付夕刊・大阪本社版社会面)
■橋下ファンも納得できる批判記事をめざす
そんな中、わずかなヒントをくれた記事がある。
条例案の中に、体罰肯定とも受け取れる条項がある。最初に知ったときは「とんでもない」と思ったが、維新の会の議員に聞くと、荒れた学校で暴れる生徒を指導する先生に最低限の手段を与えようと考えたという。一理あると思った。そこで、維新の会の意図を紹介したうえで、体罰と向き合う現場教師に条項をどう思うかをインタビューすることにした。結論は読む人にゆだねた。
いっぷう変わった記事だったが、肯定的な反響が多かった。なぜか判で押したように「朝日はこれまで橋下の宣伝記事ばかり書いてきた(全然そんなことないのに!)が、ようやくきちんと批判してくれた。よかった」と。
なぜこの記事が、わずかでも読者の心に届いたのだろうか。
他の記事と違っていたところがあるとすれば、維新の会の問題意識を肯定する記述を書いたこと。にもかかわらず読者は、ストレートな批判記事よりこの記事の方を「きちんと批判してくれた」と受け取ったのだ。
そうか。選挙前に市議インタビューが反響を呼んだときと同じかもしれない。
批判しようと思ったら、いったん「肯定」するところから出発しなければいけなかったのだ。考えてみれば、人間関係でも同じことである。イヤな上司がいたとしよう。その上司に正論を掲げて反発するほど関係はこじれ、ますますイヤな上司になっていく。そうではなくて、受け入れがたい命令も、なぜそんなことを言うのか考え、ナルホドといったん肯定してみる。そのうえで対案を示したり相談したりすれば、ものごとはよい方向に進んでいきますよね。
そうか。橋下ファンでも納得できるような批判記事をめざすべきだったのだ。さらに言えば、仮想読者を橋下市長と考えたらどうだろう。ヒステリックな反論を引き出したら負け。「自分の考えとは違うが一理あるかもしれない」と思わせたら勝ち―そう狙って仕上げた記事が、君が代条例でクビを宣告された高校教師の人となりをとりあげた「不起立は罪ですか」だった。
君が代条例をめぐり、橋下氏と朝日新聞は対立に終始してきた。だが今回は、条例が抱える暴力性について、1ミリでもいいので橋下氏の心に届かせるにはどうしたらいいかを考えた。
まずは朝日の負けを認めるところから始めよう。
不起立教員のことを取り上げると「なぜそんな教師の肩を持つのか」という反応がたくさん返ってくる。朝日の問題意識を共有する人は今や少数派である。それでもやっぱりこの先生のことを書いておきたい―。そんな前文を書いた。
記事が橋下氏の心に響いたかどうかはわからない。
だが、過去に発信したどの記事より多くの読者から肯定的な反響を受けたのである。君が代の記事でこんな反応が返ってくるのはホント奇跡的なことなんですよ! この方向性は間違っていない。そう信じることだけが今の心の支えだ。
それにしても苦しい闘いである。日々「負けねーぞ」と思っているが、負けている。それも圧倒的に。
■商売のタネになるような生やさしい相手ではない
最後に、橋下報道を間近で見て感じていることを整理しておきたい。
橋下氏とは朝日新聞にとってどういう存在なのか。橋下氏を積極的に紙面に載せて全国の読者をひきつけていこうという社の方針には全面的に協力していきたいが、氏は商売のタネになるような生やさしい相手ではない。朝日新聞が生きるか死ぬかの戦いの相手と考えた方がいい。
理由は主に二つある。
一つは、橋下氏が世間から喝采をあびている大きな理由のひとつが「既得権益の否定」だが、これまで「リベラル」と言われてきた層も既得権者としてターゲットにしているのが橋下流。そのリベラルの親玉が朝日新聞なのだ。
私自身リベラルだし、その価値を心に抱いて記者をしてきたし、これからもそうしたいと思っている。だが今世間は、インテリ業界が戦後の長い時間のなかでためてきた澱のようなものを敏感に感じ取っている。きれいごとを言い、上から目線で、一皮めくれば既得権化しているのにエラそうに説教をたれる―。そこを橋下氏は明確に突いてくる。彼の発言の前ではよほど肝を据えてかからねば、リベラルはどんどん陳腐化してしまう。朝日新聞が裸の王様にされかかっていることを自覚しなければならない。我々は少数派であり、勝ち目の薄い挑戦者である。それでもやるかどうか。
もう一つは、「特ダネ主義」から脱却する勇気が持てるかどうか。
隠されてきた情報を取るのが特ダネである。だが橋下氏は基本的に隠さない人で、思いつきの段階から発信し、議論の過程もどんどんオープンにしている。新聞記者が想定してこなかった形だ。この情報洪水を前に、従来のように「他紙に載ってウチに載っていないとマズイ」「他紙より扱いが悪いとマズイ」といったコップの中の勝ち負けの論理で動くと、いつのまにか紙面は橋下氏の発言で埋め尽くされ、気づけば読者に見放される結果を生みかねない。相手は「他紙」ではなく「橋下氏」なのだ。管理職も含め、これまでの成功体験を捨て、その覚悟を持てるだろうか。誰に向かって、今なぜ、この記事を書くのか。その思いの裏付けのない記事を発信してはいけないのだ。
紙面を見返すと、これは橋下報道に限る問題ではない。我々全員が「グレート・リセット」を迫られているのだろう。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/national/89353
市補助金イベント中止 前理事長不祥事で除名も 市原JC主催
市原市で来月予定されていた青少年育成イベント「いちはら100km徒歩の旅」が、主催する市原青年会議所(市原JC)の男性前理事長(38)の不祥事が原因で中止に追い込まれたことが4日、分かった。イベントは同市の補助金が毎年支出され、今年の参加者募集も終わっていた。前理事長は引責辞任と退会を申し出たものの、市原JC側は受理せず除名する厳しい措置を取った。
「徒歩の旅」は2006年にスタート。市内の小学4~6年生約60~100人が5日間で100キロを歩くイベントで、青少年の健全育成とともに、協力するボランティアの養成も目標とする。
関係者によると先月、前理事長と女性ボランティアとの“私的な交友”が発覚。同イベントはその性格上「主催者とボランティアが会うことはもちろん、私的なメール交換さえ禁じられている」(関係者)。
疑惑は全国組織側にも伝わった。前理事長らは現地へ赴き事情を説明したが、全国組織からの「除名」とともに、今年のイベント中止や類似イベント開催の厳禁を言い渡されたという。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
32号室本公演 朗読芝居+ダンス 谷崎潤一郎の「人面疽」
日:7月10日(火)11日(水)
時:開場19時15分 開演20時(二日間同時刻)
料金:2000円(前売・当日共)
原作:谷崎潤一郎
脚色/演出:チェリー木下
照明:由利優樹
音響:小出祐司
受付:リリー丸山
選曲:フレディ・ダミノジド
制作:32号室
出演:高級チェリー木下(高級事務員)
椿屋蜂(歌川百合枝)
フレディ・ダミノジド(映画の影★ダンスパフォーマンス)
会場:中野スタジオあくとれ
東京都中野区中野2-11-2 サン中野マンションB1F
03-3384-3495
(中野駅南口下車 改札を背に左手(新宿方面)の線路沿いの道を直進5~6分)
上演時間は約一時間です。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32895
「政治家を転がすコツ?それはいい気にさせることですよ」天才的な人心掌握術を持つこの男の野望が、間もなく達成されようとしている。誰のための野望?もちろん国民ではなく、財務省のため。
政治家は目立ちたがりのバカ
まず最初に、ある財務省キャリアの独白をきいていただこう。
「先週、野田首相の外遊中に民主党の合同会議が荒れただの、造反議員が何人出るだのって騒いでいましたが、ハッキリ言ってどうでもいいんですよね。
新聞には、まるで大事のように書いてあるでしょ。だからバカな国民は『大変なことが起きている』と勘違いしてしまう。
あれ、茶番ですから。どういう道筋をたどるか、可能性はいくつかあっても、最終的にはボクら、というか勝さんの思惑通りに進みます。つまり、消費増税関連法案は可決される。
じゃあなぜ、政治家があんなに騒いでるのか。それには、政治家と官僚の根本的な『生態』の違いを知ってもらわないといけない。
政治家という生き物は、基本的に『どこまでいっても一人』なんです。派閥だなんだと言ったって、選挙に落ちた瞬間、ただの人になる。いや、仕事がなくなるんだから、ただの人以下ですね(笑)。
そんな政治家の行動原理を一言で言うと、「目立ちたい」。だからパフォーマンスに走るんですよ。
『国民のために消費増税に反対する』
とか言って。本当に国民のためになるかどうかは、どうでもいい。とにかくわかりやすいことを言って、目立とうとする。まだ国会議員じゃないけど、橋下徹さんなんてその典型でしょう?橋下さんのあの性癖は、多かれ少なかれ政治家が皆持っているものです。
自分勝手なパフォーマンスに走る奴がいるから、まとまる話もまとまらない。
財務官僚の生態は、その真逆なんですね。組織のために、上から下まで一体となって働く。今だったら、勝さんの指令の下、全員が同じ方向を目指す。もちろん自分の能力をアピールしたい気持ちはあるけど、悪目立ちすることは極力避ける。軍隊的と言われたら、実際そうだと思いますよ。
だから、政治家が財務省に勝てるわけがないんです。もともとボクらのほうが頭が良いわけで、しかも集団で戦うんですから。
霞が関の格言にこんなのがあります。
『経産省は10人に聞くと10通りの返事をする。財務省は全員同じ返事をする』
当たってると思います。勝さんのガバナンス(統治)は完璧ですから、今のウチは特にそうだと思います。あんな優秀な事務次官に出会えて幸せです」
限りなく傲慢。それなのに財務省への帰属意識はきわめて強い。人間としてどこかアンバランスだが、本人はそれに気づいている様子はない。
今、こうした忠実なしもべを500人規模で抱え、財務省という「城」に王として君臨しているのが、勝栄二郎事務次官、その人である。
「陰の総理」と呼ばれる勝氏だけあって、その権力の肥大ぶりは止まるところを知らない。この7月で次官就任から丸2年を迎え、本来なら退任してもおかしくないが、すでに任期延長が決まっている。全国紙経済部デスクが解説する。
「当然です。少なくとも消費増税法案の成案を見るまで、勝氏が次官を辞めることはない。それは野田総理の望みでもある。というより、総理も今、勝氏に辞められては不安でしょうがないでしょう。
自民、公明と3党合意に達したのも、もちろん勝氏の剛腕です。谷垣さんや山口さんら党首クラスは直接出馬して説得するし、それ以外の党の重鎮も、とにかく幅広くケアをする。
大臣官房長の香川(俊介)さんや理財局長の田中(一穂)さんの使い方がうまかった。田中さんはかつての安倍晋三さんの総理秘書官。次期自民党総裁選に出馬する気満々で、財務省にすり寄りたい安倍さんをあっさり籠絡した。
小沢さんに近いと言われる香川さんを官房長に据えることで『小沢さんのことも重視している』と念のためメッセージを送る。そうして根回しをしているから、表面上は政局が混乱しているように見えても、実際は勝氏の『想定内』で物事が進んでいきます」
財務省OBの藤井裕久〝民主党税調会長や信頼関係のある仙谷由人〟政調会長代行に加え、宇宙人・鳩山由紀夫とすら親しく、すでに懐柔済みだという。まさにオールマイティ、全方位外交で敵をつくらない。永田町には「勝氏の悪口を言う政治家はほとんどいない」(前出・デスク)。
前出のキャリア官僚がまた独特の解説をする。
「財務省に入ってまず叩き込まれるのが、『いちばん偉いのは事務次官。大臣より偉い』というヒエラルキーです。でも、思っていても表に出してはいけない。かつて『10年に一度の大物次官』と呼ばれた齋藤次郎は、小沢一郎と近づきすぎるなど、官僚の分を超えた振る舞いをしたために、他の自民党主流派から嫌われ、最終的には失脚した。
勝さんはその轍を踏まないように気をつけているというか、もともと『俺は偉い』というオーラを抑えるのがとても得意な人なんです。政治家に会えばちゃんと腰を折ってお辞儀するし笑顔も絶やさない。それは謙虚だからというより、お辞儀して丸く収まるなら安いもの、という西洋式合理主義がある。おそらく4歳から15歳までの11年間、ドイツで暮らした影響もあるのでしょう。
これはあまり知られていない事実なんだけど、財務省キャリアにはチビが多いんです。ちゃんとした統計はもちろんないけど(笑)、160cm台の人がゴロゴロいる。勝さんのように175cm以上あって顔も整っている、というタイプは珍しい。勝さんの屈託のなさは、実はそんなところにも由来しているのではと、ボクは秘かに見ています」
勝海舟の曾孫を名乗る
ただ、ここまでの分析では、なぜ勝氏が「王」と呼ばれるまでの権力者に成り上がったのか、完全には腑に落ちない。
実は勝氏には隠し持っている「顔」がある。そして、そこにこそ権力の源泉がある。それは「ドイツ帰りの紳士」のイメージとはまるで異なる、いわば「乱世の傑物」とでも言うべき、勝氏のもう一つの顔である。
前出キャリアとは別の財務省幹部が明かす。
「これは最近まで省内でも知られていなかったのですが、勝さんは東大法学部卒ではないのです。いや、正確には卒業しているんだけど、その前に、早稲田の法学部を一度卒業しているんですよ。東大は、早大卒業後に学士入学したんです。
こう言っちゃなんだけど、東大法学部と早大法学部では偏差値が(腕を広げて)こーんなに違う。勝さんが大蔵省(当時)に入るために東大に学士入学したかどうかは定かではないけど、高校卒業して早大の法学部なんて事務次官は、150年の歴史のなかでもちろん一人もいない。しかもドイツから帰国して入った高校は獨協高校で、これも財務省では異色です。
でも逆に、財務官僚がどうしても身にまとってしまう『エリート臭』が勝さんにないのは、こうした学歴によるところも大きいのかな、と思います」
財務省には「東大法学部にあらずんば人にあらず」という風土があり、東大経済学部卒すら少し肩身の狭い思いをするという。財務省幹部が続ける。
「勝さんは大蔵省の同期会には出ないんです。一つには年齢が違う、もう一つには共通の話題がないからだそうです。加えて、勝さんは大蔵省入省の成績が同期の中で下から2番目だったとか。同期会が嫌いだった理由は、その辺なのかなと推測しています」
バブル期のような、景気がよくて大蔵省にとっても平穏無事な時代がずっと続いたなら、ひょっとしたら勝氏がいまのように頭角を現すことはなかったかもしれない。
しかし'97年、一連の大蔵スキャンダルが勃発、大蔵省は乱世に突入する。
「勝さん自身、過剰接待で処分を受けていますが、他の純粋培養エリートがオロオロするなかで、スキャンダルの後始末など『汚れ仕事』を引き受けたのが、当時、主計局主計官から大臣官房文書課長に移った勝さんでした。
その前の2年間、ミスター円こと榊原英資・国際金融局長(当時)の下で、為替資金課長として鍛えられた経験も大きかった。お互い英語が堪能で、ドメスティックな大蔵省で、グローバル金融が理解できる貴重な二人だった。その後、銀行の不良債権処理に勝さんが奔走し、そこでも評価を上げることになります」(前出の財務省幹部)
汚れ仕事もできる、エリート臭のない男。一方で利用できるものは利用するしたたかさもある。
「勝海舟の曾孫説」である。
事務次官になって以降、勝氏は明確に否定するようになった。実際、血縁関係は存在しない。
しかし、ある財務省OBはこう証言するのだ。
「若い頃は『そうです』と言ってたよ。偉くなるにつれ、ニヤニヤ笑って否定も肯定もしなくなり、事務次官になった途端、猛烈に否定し始めた。
自分を大きく見せるために利用したのか、単に話のネタとして面白いと思っていたのかはわかりませんが、とにかく、若い頃は海舟の子孫だと認めていましたよ」
総理より偉いんです
利用すると言えば、これまでの大物次官と明らかに違うのが、メディアコントロールだという。ある全国紙の幹部が語る。
「消費税への理解を求めるために、勝さんは官房長や主計局長、主計局次長などをともなって、記者クラブ加盟社すべてに挨拶回りをしていました。昨年末からつい最近までの話です。
主計局は3班あり、頭である局長が司令官で、その下に3個師団9個連隊と、大蔵省時代から軍隊用語で呼ばれている。この部隊編制で新聞社、テレビ局を行脚した。勝さんがパイプのあるナベツネ(渡邉恒雄・読売新聞主筆)はもちろん押さえ、有名ニュースキャスターには一人一人に面会を求め、幹部が直接出馬しています。
次期事務次官が確定している、司令官の真砂靖主計局長が、みずからワールドビジネスサテライトの小谷真生子キャスターへの接触を買って出たのは有名な話です。NEWS23Xの膳場貴子キャスターのところにも皆が行きたがったとか。
こうした財務省オールキャストによる消費税啓蒙プロジェクトは功を奏し、新聞、テレビ、通信各社は局長会議を開き、消費税に関する認識を改めた」
懐の深さは認めよう。たしかに並の官僚ではない。だが、そこには欠落しているものがある。それは、自身が「公僕」であるという意識である。
前出の財務省キャリアはこう言い放つ。
「勝さんに国民に仕える意識があるかって?あるわけないじゃない、そんなもの。だって、国民は基本的にバカなんだから。牧場の子羊のように、ボクたちが正しく導いてあげなきゃいけない。
消費税を上げなかったら財政は破綻します。国民はよくわかってないかもしれませんが、ボクたちの仕事は『おカネの管理』『国家の家計簿をつけること』ですから。税収を増やすためには消費税アップ、それが正しいことだというのは、すべての財務官僚のDNAにすり込まれています。
勝さんのことを、『いつから総理大臣になったんだ』と批判する人がいますが、総理大臣になったんじゃなくて、野田総理より勝さんのほうが偉いんです。だって、野田民主党というおんぼろな御輿を担いで、最終的には消費増税を実現しちゃったんですよ。それは奇跡のようなこと。
しかもバッシングだって一身に受けて、それを気に病まないタフさがある。省の前で街宣車が名指しで批判する次官なんて、勝さんが最初で最後ですよ。伝説となるのにあれほどふさわしい人はいない」
もうすっかり勝った気でいる、勝栄二郎次官とその子分たち。最近では、「もう利用し尽くした」とばかりに、ドジョウ総理の悪口を言い始めたのだという。
「『問責をかけられた大臣をすぐ辞めさせないなど、やることが遅い。輿石(幹事長)さんの顔色ばかりうかがって、とにかくグズなんだ』と、ある野党幹部にグチをこぼしたそうです。勝氏にとっては野田総理など道具の一つ。与党は仙谷氏や岡田副総理を押さえているので、『野田はもう用済み』ということなのでしょう」(前出の財務省OB)
消費増税を事実上成し遂げた勝栄二郎は、「伝説の仕上げ」とばかりに、「あの男」に批判の矛先を向けているのだという。
「橋下維新の会には危機感を持っていますね。みんなの党が橋下とくっつくかどうかも含めて、橋下新党は『財務省のリスク要因』と見なしています。
橋下が主張する政策で財務省にとって問題なのは、もちろん地方分権。カネを分配する権限を地方に移譲することになると、予算編成が思い通りにできなくなる。それが財務省にとっては恐ろしい。突き詰めれば、カネをすべて握っていることが財務省の巨大な権力の源泉ですからね。今まで通り、霞が関のなかでやり取りしているほうが、都合がいいに決まっています」(前出の経済部デスク)
カネが権力の源泉だと言うが、それはもともと財務省のカネでも、ましてや勝氏のカネでもない。国民から吸い上げた税収を差配することで、自分たちが偉大なことをしていると考えるのが、そもそも思い上がりではないか。
日本には真の政治は存在しない。ただ財務省に君臨する王、天下人がいるだけなのだ。
「週刊現代」2012年7月7日号より
| 固定リンク
| トラックバック (0)
最近のコメント