和風きのこ冷水さらし蕎麦
| 固定リンク
| トラックバック (0)
富樫 寺僧は錫杖を携うるに、山伏修験の金剛杖に、五体を固むる謂れはなんと。
弁慶 事も愚かや、金剛杖は天竺檀特山(てんじくだんどくせん)の神人阿羅邏仙人(あららせんにん)の持ち給いし霊杖にして、胎蔵金剛の功徳を籠めり。釈尊いまだ瞿曇沙弥(ぐどんしゃみ)と申せし時、阿羅邏仙人に給仕して苦行したまい、やや功積もる。仙人その信力強勢を感じ、瞿曇沙弥を改めて、照普比丘(しょうふびく)と名付けたり。
富樫 仏門にありながら、帯せし太刀はただ物を嚇さん料なるや。誠に害せん料なるや。
弁慶 これぞ案山子の弓に等しく嚇しに佩くの料なれど仏法王法の害をなす、悪獣毒蛇は言うに及ばず、たとえ人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は一殺多生の理によって、忽ち切って捨つるなり。
| 固定リンク
| トラックバック (0)
そのむかし聖徳太子、守屋大臣(もりやのおとど)と仏法を争いしとき、当地は難波堀江と申す一面の入り江である、中海(みずうみ)である。そが中に大臣(おとど)、数多(あまた)の仏体を打ち込んだるが埋まり埋まって、大阪(おおざか)という大都会に相い成った。よって大阪の土中には諸処に仏像・金像(かなぞう)が埋ずもれおる。まった信濃の国善光寺如来が阿弥陀ヶ池より出現なすという放光閣の古蹟も残りおる。当家は大家である。戌亥隅(いぬいずみ)の柱、四十二本目を三尺五寸掘り下げみよ。一尺二寸の観世音の仏体が現れん。これを崇めよ。娘の病気たちどころに全快なす。まった当家は万代不易にこれあるぞ。夢だに疑ごうことなかれ」
| 固定リンク
| トラックバック (0)
最近のコメント