明治大学の恥
先日、5月25日に村山富市元首相が母校の明大で行った講演内容について、その一部を紙面で紹介しました。でも、書ききれなかった部分がどうしても気になるのでここで改めて記します。
村山氏は現行憲法について、こう語りました。
「非常によくできている。これは不磨の大典だ。どこに持って行っても恥ずかしくない」
私は、「村山氏はどこに出しても恥ずかしい」と感じました。また、村山氏はこんなことも述べていました。
「戦争をしないと宣言して丸裸になっている日本をどこが攻めてきますか。そんなことはあり得ない」
ありえない発想をしているのは村山氏の方です。まるで「我が家は鍵をかけない」と宣言さえすれば、泥棒が入ることはないのだと考えているようです。こうした倒錯した考えがどこからくるのか、どれだけ国民を危険に追いやっていることか、頭がクラクラしました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140529/plc14052913420011-n1.htm
歯止めかからぬ「元首相」価値のデフレ現象
本来なら党利党略を離れて個人の利害を度外視し、大所高所に立ってときの政権に助言すべき元首相らの存在価値の「デフレ現象」に歯止めがかからない。位人臣を極めた人たちがこれでは、有権者が政治に無関心でもむべなるかなだ。
村山富市元首相が25日、母校の明大での講演で展開した安倍晋三首相批判には心底あきれた。村山氏は、いけしゃあしゃあとこう語ったのだった。
「(安倍首相は)侵略という言葉は学会的にも国際的にも定義はないと。何を言っているのか分からないが(笑)」
自分が何を言っているのか理解していないのは村山氏の方だろう。今年1月23日付の当欄でも指摘したが、村山氏は首相在任中の平成7年10月、次のように国会で同じことを答弁しているではないか。
「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」
旧社会党出身の村山氏が、自らの主義・主張に基づいて安倍首相を批判するのなら当然だし、何ら問題ない。だが、この物言いは天に唾するものである。
歯止めかからぬ「元首相」価値のデフレ現象
村山氏をめぐっては3年前の「3・11」直後、阪神淡路大震災と東日本大震災の双方で被災者対応に当たった省庁幹部から、こんな人柄を聞いたことがある。
「村山さんは『お前たちに任せるから思う通りに全力でやれ。責任はワシが取る』と言ってくれた。そこが、すべてに口をはさんできて、最後は『失敗したらお前のせいだからな』という菅直人さんとは違った」
それだけにがっかりさせられた。村山氏は、過去の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話に関して2月には「国是みたいなもの」と自ら持ち上げ、今回の講演では「国際的に一つの定説」と自賛した。大丈夫だろうかと心配になる。
一方、菅元首相も相変わらず野放図な言動で周囲を困らせている。民主党の桜井充政調会長は自身のメールマガジンで2週連続、菅氏を厳しく批判した。
15日付の「何も分かっていない」ではこう書く。
「党の方向性と違う事を得意げに話す無神経さにあきれてしまった」
「菅元総理も後進に道を譲ってこの運動(細川護煕、小泉純一郎両元首相の脱原発運動)に加わったらいかがだろうか」
歯止めかからぬ「元首相」価値のデフレ現象
細川、小泉両氏が巻き添えを食い、まるで菅氏と同類扱いされているが、これが気の毒かどうかは意見が分かれるところだろう。
桜井氏は、22日付の「困ったものだ」では菅氏にこう「離党勧告」している。
「(菅氏の)発言によって多くの仲間が窮地に追いやられている」
「党の方針と異なる運動をするのであれば、党を離れて活動すべきである」
これに対し、菅氏はどこまでも馬耳東風だ。福井地裁が21日に関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を認めない判決を下した際には、自身のツイッターでこう大はしゃぎした。
「勝った、勝った、勝った」「画期的な判決」
元首相の肩書は安くなるばかりだ。一方、米国には大統領経験者らが党派を超えて協力し、国家の難局に立ち向かう組織「プレジデント・クラブ」があり、成果を挙げてきたという。うらやましい話である。(政治部編集委員)
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